riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">玉三郎舞踊公演と映画・美術のことなど</span>



 
昨日の玉三郎公演の記事にお藤さん総てが繋がってる不思議にポチポチ☆ とコメント入れて下さったので色々なことを思い出しました。

私が新聞で観た筧忠治さんの絵が見たくて美術館に行くと、玉三郎からの蘭が飾ってあった!(お父様に似ているということで筧さんの自画像もお買い上げ)


友人がプレゼントしてくれて一緒に観て、その幻想的でもあるショーに感動したコルテオのことが玉三郎HPに載ってるではありませんか。


玉三郎HP
先日機会がありまして猿之助兄さんを「シルクドソレイユ・コルテオにお誘いしましたら『行きます』と言うお返事を頂けまして、久し振りに一緒に出かけることができしました。なかなか「コルテオ」をご覧になられる機会がなかったようですけれども、兄さんにも大変喜んで頂けまして楽しい時を過ごしました。
 この7月も現在の歌舞伎座で過ごすのは最後となりました。寂しいと言うよりは『本当に一生懸命過ごしてきたな』(でなければこれほどの舞台は出来ません)という思いがございますし、考えてみますとかれこれ50年歌舞伎座へ通っておりますが、自分としましては『ああ…もうこんなに経ってしまったのだなあ…』
 今年1月から「歌舞伎座さよなら公演」が始まりまして沢山の大役を頂いております。毎月毎月中頃になりますと「今月も無事に終われるのかな」 (毎月歌舞伎座公演が続いていて夏痩せなさってる様な気がしました。どうぞ,お体、御自愛くださいませ)と考える日が続きますが…

写真は南座公演のちらしではありませんが内容は同じです。
玉三郎の全くの一人舞台です。

例により、3階席ですが友人も全体がよく見えて前の人の頭も気にならなくていいと喜んでくれました。

長唄舞踊  三弦 富山 清琴 箏 富山 清仁
  
世俗を離れ仏門に帰依した女が、冬の夜長、恋人の訪れを待ちわびた夜を思い出しつつ、 過去を今なお捨てきれずにいる心境を語る。

上方舞の至宝・武原はんの「雪」は有名ですがテレビでちらりしか観たことがありません。
牡丹灯籠の杉村春子や夕鶴の山本安英、武原はんの「雪」 を継承発展させる玉三郎、映画監督や演劇の演出、衣装はこだわりの自前。かんざしや扇も目が離せません。

鷺娘でも感じたのですが傘の扱いもまるで新体操の金メダリストを連想してしまいます。バレエもお好きですね。

後ろ姿で浮かび上がり立派な帯に目が引きつけられる、髷も今まで見たことがないほど大ぶり。

非常にゆっくりと抑えた動きなのに滑らかに動き続けるって難しいでしょうね。
葵の上 
亡き東宮の妃の六条御息所は、華やかな日々を振り返る一方で、恋人・光源氏の正妻葵の上への嫉妬に苦しみ、ついには葵の上の枕元に生霊となって現れる。

昨年末の顔見世では海老蔵光源氏に扮していました。
花道から出てくる六条御息所、怖かったです。
でも今回は舞台中央の暗闇から突然出現!
この衣装も能からなのでしょうか。重厚です。
さすが身分の高い女性にお似合いです。

鐘ヶ岬 
恋の恨みから清姫は、妄執の果てに釣鐘ごと安珍を焼きつくしてしまう。釣鐘再興の日、亡霊となって現れた清姫は…

この作品だけが明るくて歌舞伎らしい華やかさ。
風知草のおとみ様によると
能の道成寺京鹿子娘道成寺→鐘ヶ岬
抽象的な能から華やかな京鹿子娘道成寺になり、もう一度抽象化したのが鐘ヶ岬だ。若く美しく清らかな清姫であられる。本当の清姫の怨霊が結晶して玉三郎丈の舞姿になったというか、高い精神性が投射した映像のような錯覚を覚える。


  



この3本を生で観たのは初めてです。特に雪は全くの初見です。
ですから、阿呆なこと書いていてもお許しください。

玉三郎肖像画や、浮世絵を身近に置いて役作りされる。
玉三郎お市御寮人観たとき、あまりにも肖像画そっくりで又感動したものです。。

朝4時起きで、夏は水やりが欠かせないので京都についたのは8時。
京都のバスは混むので困るのですがさすが早いので助かりました。
朝日がカンカン、京都のバスは昔から日よけカーテンもなかったでしょうか。外が見たい観光客の為?

玉三郎・舞台の夢
監督のほうの関心からいえばヴィスコンティが好きです。ヴィスコンティの演技のつけ方というのは独特だと思うんです。「魂まで抜きとってしまう」というか…

玉三郎の好きな絵

 
ツォツィ
以下は楽天で2007/08/30 に書いたブログです。
玉三郎がHPでこの映画を褒めていたし評判になっているので鑑賞し

 以前アパルトヘイトを描いた映画「遠い夜明け」を観てから20年!この作品は原作がアソル・フガード。アフリカーナの母とイギリス人の父の間に生まれたが反アパルトヘイト活動でパスポートを没収されたこともある、劇作家、舞台、映画俳優、演出家。日本でも文学座劇団昴により「谷間の歌」「血の絆」「ハロー・アンド・グッバイ」が上演されている。

 監督のフッドが「どんな人生にも救済とセカンドチャンスがあることを描きたかった」「人を許し、罪を償い、融合しようとしている」と言うとおり希望がみえる。15歳以下不可というのは惜しい。
 残酷名非道なアパルトヘイト廃止から10余年だが今も差別と経済格差に苦しむ南アフリカの人々。主人公は本名捨てて、ツォツィ=不良と呼ばれている少年。裕福な夫妻から車を盗んでしまうが、そこに赤ちゃんが残されていて、彼の心に幼い日を呼び戻す。新聞紙をオムツ代りにしたり(やるね)可愛い少女のような未亡人におっぱいを強引に頼んだり彼なりに奮闘する。誰でも授乳のシーンにはやられてしまうだろう。彼女も始めは胸を開けないようにするのだが…そして白いシャツに着替えた彼はやるべき事をする。赤ん坊を奪われた父の行動、知的な俳優の顔がいい。

 その土地の人々の切実な問題を提示する映画、演劇が作られ皆がそれを観て感じたり行動できたら…今の日本の青年も生き難い問題を抱えている。皆が貧しかった戦後の子供や不幸なはずの戦地の子供の表情が明るかったりする。違いを責め立てたり、追い詰めたりばかりしない、寛容の気持ちを持ちたいものだ。