riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">豊郷小学校旧校舎その3</span>


このウサギとカメの階段の下の部分まで壊され傷ついたところで地元の女性が身体はって食い止めたそうです。

皆さんの行動力には頭が下がります。



 
wikiより
1937年(昭和12年)には、本校出身で伊藤忠商事および丸紅の前身にあたる伊藤忠兵衛商店専務の古川鉄次郎が、アメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の校舎と講堂を建設・寄贈。階段の手すりにイソップ寓話「兎と亀」をモチーフとした小さく数多いブロンズ像による装飾(階段を上るに連れて物語が進展してゆく構成)があり、当時としては珍しい鉄筋コンクリート構造の校舎は、2004年(平成16年)に豊郷小学校が新校舎へ移転した後も、今日に至るまで町のシンボルとなっている。

また、当校舎の解体計画が持ち上がった1999年(平成11年)以降の破棄と保存を巡る問題は、全国規模で詳しく報道され、そちらの方面から広く知られることにもなった(詳しくは「#校舎改築問題」の節を参照)。

2009年(平成21年)6月頃よりは、人気の深夜アニメ『けいおん!』にて主人公達が通う京都市内の架空の高等学校校舎が豊郷小学校旧校舎と酷似しており、モデルと認知されていることから、いわゆる「聖地巡礼」としてファンが訪れている

 


 
 
 




 
 



 

1999年(平成11年)に大野和三郎が豊郷町町長に就任すると、施設の老朽化と耐震性を理由として校舎と講堂を解体するとともに新校舎の建設を目指す方針を打ち出し、町議会もこれを賛成多数で承認した。

しかし、地元町民からは歴史のある校舎を取り壊すことに反対する意見が出され、賛成意見を大きく上回った[2]。2001年(平成13年)10月に「豊郷町の歴史と未来を考える会」が設立されて大津地方裁判所に講堂の解体工事の差し止めを求める仮処分申請を行ない、2002年(平成14年)1月に裁判所は差し止めを認めた[2]。町側はいったん地裁の判断を不服として高等裁判所に抗告したものの、講堂を保存する方向に方針転換[2]。しかし、校舎に関しては解体の方針を変更しなかった[2]。

2002年8月、考える会は大津地裁に校舎解体差し止めを求める仮処分を申請し、12月19日に承認されるが、大野町長は地裁の判断や町民の意向を無視して同月20日に強行的に解体工事を開始[9][2](町長や工事の作業員は、本件で2004年(平成16年)1月に書類送検された[10])。これを受けて町民は工事の差し止めを求めて校舎に立てこもり、町長も工事中止を発表する[11]。かかる状況の中、大野町長は24日になって方針を転換し、新校舎を建設しながらも旧校舎を保存するとした[9][12]。

新校舎の建設に固執する町長の姿勢の背景には、多額の新築費用が生じる公共事業による地域活性化を見込んだ点や、改修の場合には国による費用の補助割合が低く設定されている点が指摘されている。また、改築の根拠の一つとなっていた耐震性については、耐震診断のデータに不自然な点があることが明らかになっている。日本建築学会は校舎の老朽化や耐震性の問題について、改修によって対処可能と指摘している

このように虚偽により破壊された歴史的建築物は少なくないでしょう。

この後、2003年(平成15年)3月にリコールによって大野町長はいったん失職をしたが、同4月に統一地方選挙の一環として行われた町長選挙に立候補し、解体反対派候補の分裂もあって「歴史と未来を考える会」側の立候補者等を破って町長に返り咲いた。2003年3月には住民によって[14]新校舎建設の差し止めが請求されたものの、6月に着工した[9][16]新校舎は2004年3月に完成した。