<span itemprop="headline">揚輝荘とミュージカル</span>
10月31日,11月1日に揚輝荘・秋の文化祭 があり予約なしで見学が出来ました。
司会の女性はラジオアナウンサーでウサギの柄の帯に大正ロマン風の着物で盛リあげてくれました。
昭和14年頃には一万坪の敷地の中に30数棟の建造物(茶室10!)がありました。
揚輝荘主人 伊藤次郎左衛門祐民
元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民の別荘として、1万坪の森を拓いて築かれた。大正7年(1918年)に最初の建物が移築され、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園が造られるなどして、最終的に完成した昭和12?14年頃には移築・新築された30数棟の建物があったという。大正から昭和初期にかけては皇族や華族、政治家や著名人の他に外国人も多数訪れ、国内からの寄宿生に加えて留学生の受け入れも行っていた。昭和20年(1945年)3月24日に空襲を受けて建造物の多くが焼失。また戦中は日本軍に、戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用された。敷地の多くが開発されて庭園も南北に分断されたが、数棟の貴重な建物と庭園が残されている。現在は名古屋市に譲渡され、NPO法人揚輝荘の会が管理を行っている。
鈴木禎次は、名古屋の近代建築の巨匠、夏目漱石の義弟であり、名工大(名工専)教授。鶴舞公園の噴水塔・奏楽堂を手掛けた方 だと言えば判りやすいかも知れない。現在の松坂屋本館もそうです、邸内にはいたるところに和洋折衷で色々な細工や工夫や遊び心などが盛り込まれています。揚輝荘HP
名古屋市暮らしの情報
揚輝荘は、(株)松坂屋の創始者である15代伊藤次郎左衛門祐民氏が、大正から昭和初期にかけて覚王山の丘陵地に建設した本市郊外別荘の代表作で、主要な部分として保存された庭園と建物が、平成18年度末に本市に寄贈されました。平成20年5月に、5棟の建物(聴松閣、揚輝荘座敷、伴華楼、三賞亭、白雲橋 )が市指定有形文化財に指定されました。今後、修復整備を行い、市民共有の歴史・文化資産として保存活用事業に取り組みます。
名古屋市暮らしの情報
揚輝荘は、(株)松坂屋の創始者である15代伊藤次郎左衛門祐民氏が、大正から昭和初期にかけて覚王山の丘陵地に建設した本市郊外別荘の代表作で、主要な部分として保存された庭園と建物が、平成18年度末に本市に寄贈されました。平成20年5月に、5棟の建物(聴松閣、揚輝荘座敷、伴華楼、三賞亭、白雲橋 )が市指定有形文化財に指定されました。今後、修復整備を行い、市民共有の歴史・文化資産として保存活用事業に取り組みます。
南の庭園はまた。