riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">宇宙人?山鹿の装飾古墳</span>






八千代座前から山鹿市立博物館へ。写真は博物館横の石橋。
全国第二位の用水橋(石橋)である大坪橋の移設復原です。

ここには全国に唯一の石包丁形鉄器や、30数例しかない巴形銅器など大変貴重な資料があります。




博物館周辺は歴史公園「肥後古代の森」として整備されていて、装飾古墳として有名な史跡チブサン・オブサン古墳まで徒歩15分の「古代への道」が続いています。

 そのほか江戸時代の民家や全国第二位の用水橋(石橋)である大坪橋が移設復原されて、文化財あふれる空間となっています。
博物館へ行く途中の庶民の墓、横穴群も車から降りてよく見たかった!



近郊の友人が車で山鹿市立博物館に駆け付けてくれました。

タクシーの運転手は市博物館に行ったことがないのか、通り過ぎてしまい、彼女を待たせてしまいました。
彼女とは2005年に車で阿蘇や高千穂を回りました。
真っ暗な田ごとの月のような混浴の温泉にも連れて行ってもらいました。
その時はウン十年ぶりにあったのに(彼女が熊本空港近くのホテルまで迎えに来てくれたのです)一瞬に学生時代に戻り感激しました。
同じ寮で生活した間柄です。

県立博物館は安藤忠雄設計の立派な建物だそうですが、こちらは本物の遺物ばかりの展示。しかも古墳玄室に入り装飾古墳がみられると知りました。

以前、中学時代の恩師に勧められて三重県まで装飾古墳展を観に行きました。その時も大胆な幾何学文様に惹かれました。
高松塚古墳とは全く違います。



チブサン古墳です。
鍵を開けてもらい玄室を見学、ピラミッドのように大きくはないけれど、観ることができて興奮しました。

チブサン古墳は、大正11年10月12日に国の史跡として指定を受けた全国的にも有名な装飾古墳です。

鮮やかな幾何学模様の壁画は1,500年前の古代人の文化や風土を伝える貴重な遺産となっています。

全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)の前方後円墳で、墳丘には武装した奴凧形の石人一体(現九州国立博物館所蔵!なぜ返してくれないの?)が立てられていました。

古墳時代後期(500年頃)に造られたもので、後円部に開いた横穴式石室の玄室に設けられた厨子形石棺の内壁に赤・黒・白の3色で描かれた三角やひし形文様が連続して描かれた中に、二重の円文が描かれ、それが人の目玉や口に見えます。また、その組合せは見方によっては女性の乳房に似ていることから「乳の神様」として現在も信仰されています。
また、石棺の右壁には王冠をつけ、両手を上げ両脚を踏ん張った人物像が描かれていますが、その服は腹の部分を締めつけ、膝の部分を中心に中膨れさせ、脛の部分で絞っており異国の風俗を連想させます。

下の右の人物像が宇宙人に見えて、この古墳前で関連行事があったそうです。





チブサン古墳(国指定史跡)
 熊本県山鹿市にある全国的に有名な装飾古墳で、全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)の前方後円墳です。近くにはオブサン古墳、鍋田横穴群、弁慶が穴などが点在しています。
 古墳時代6世紀頃に造られたもの。石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ているところから「乳の神様」として現在も信仰が続いています。
 羨道をくぐり抜け、玄室へ入って見ませんか。




オブサン古墳は、チブサン古墳の北西約200mに位置する直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳で、主体部は巨石で造られた横穴式石室があります。
特徴は、内部の後室の仕切り石に描かれた連続三角文などの装飾や石室の前面に突堤を持っていることです。
時代は6世紀後半の築造とみられ、6世紀前半に造られたとみられるチブサン古墳との関連を知るうえで重要です。
「安産の神様」として親しまれています。




晴れていたら阿蘇も見えたのですが…
ここが西南の役の激戦地とは知りませんでした。
西郷軍が古墳に立てこもったため政府軍からの攻撃の鉄砲の弾跡があります。







石棺



ここで韓国王妃閔妃暗殺を指揮したとされる三浦梧楼レリーフに会うとは!三浦は西南戦争第三旅団司令長官として各地を転戦、城山(鹿児島県)を陥落させた。