riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">お宝鑑定団の川喜田半泥子の茶碗</span>




川喜田半泥子のすべて展
1940年頃の粉引茶碗「寒山見込みがとても綺麗な緑色です。写真がないのが残念。「わすれなぐさ」というお茶碗も緑系でいいなあと思いましたが図録買っていないので。古本で出たら欲しいですね。

右は1957年頃の「虎図」半泥子は五黄の寅の生まれ
スプーンは全然関係ないのですがバラだったので、美術館グッズです。
今日の日曜美術館で紹介された川喜田半泥子のすべて展
松屋銀座
そごう美術館
山口県立萩美術館・浦上記念館
三重県立美術館 にも巡回します。


今日、お宝鑑定団再放送観ていたら土曜日に観てきた川喜田半泥子の名碗が登場しましたので。中島さんも絶賛でした。
3万個作った中でも五本の指に入る名品。400万円。
箱書き「ああうれしい」
鑑定団
お茶碗には全然詳しくないしお茶も習ってませんので間違いはお許しを。
同時開催のプロの茶碗は面白みがない、お若い時の油絵の方が断然よい。半泥子は売るための作陶でなく自分用やプレゼント用です。
萬晩報
 半泥子が茶会を開くときは、三重自慢のうなぎを自ら七輪で焼いたともいわれる。茶室の生け花はもとより掛け軸も自筆の書や絵画を墨で描いた。

うつわ歳時記
また半泥子先生も乾山と仁清を比較して次のように述べている。仁清は玄人であるから、作品に面白味がない。乾山は「シロート根性」を失わなかったから、轆轤の上手下手に関係無く、個性があって面白い。玄人に面白味が無いのは「おのれ欲せざるになす」からであり、しろうとは「まず興起りてなす」から面白いものができる。そしてそういうシロートこそ良い芸術をなしうると言う。すなわち新鮮な出会いがあるからである。勿論、その新鮮さを絶えず保たねば成らない。

半泥子は茶碗にならない土はないと言われた方で50過ぎてから膨大な数の作陶。小石混じりの土で焼いたり、ボコボコしていたりゆがんでいたり、切れ目?があったり、唐津信楽、黒織部、井戸手、染付、刷毛目、灰釉、志野、瀬戸黒、赤楽、…

売るために作ったのでないからなのか、このボコボコ感、自由さがいいのでしょうか。

香合、魚形向付、小皿、ぐい呑、、花入れ、大きな茶杓何でもあり。

「ねこなんちゅう」「さるのしり」なんていう名の茶碗も。





一心不乱に作陶している自画像と女性だったら誰でも好きになるようなやわらかなピンク色の「雪の曙」
写真より実物の方がもっとゆがみやかけてる様な感じでいいですねえ。

洋行スケッチ帖や大型自作豪華本、「じゃわさらさ」も最近、近くのギャラリーで観たばかりなので関心あります。

中でも鈴鹿

鈴鹿荘

お若い頃に撮った写真、ご自分の作陶のビデオまであります。
お母様は早く亡くされましたが非常に恵まれた境遇の方です。

この美術館、山の中にあり駐車場から美術館入り口まで遠くて寒いのでご注意を。



通路の天井にはタイルの破片、美術館内にもタイルの車が陳列してあります。




美術館からの眺め



美術館館ランチのスープ、コーヒーカップは家にあるのと同じブルー&ホワイトのブルターニューブでした。

セラミックパークMINOの中核施設として2002年10月12日開館した。
美術館展示室には、吊り免震構造で世界初となる「並進振子免震システム」を採用している。
岐阜県現代陶芸美術館
近代陶芸史に大きな足跡を残した川喜田半泥子(本名・久太夫政令1878-1963)は、三重県津市の素封家で、東京・大伝馬町に寛永年間から続く木綿問屋の家に生まれました。家業を継ぎ、百五銀行頭取や数々の企業の要職をこなして財界で活躍する多忙な日常を過ごす一方、陶芸、日本画、書、木版画、建築、油彩画、写真、パステル画、俳句などの各方面にその芸術的才能を発揮します。とりわけ50歳を超えて本格化した作陶は破格で、趣味の域をはるかに超え、当時の沈滞していた陶芸界に革新的な息吹を吹き込みました