riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">心の遺伝子あなたがいたから</span>





心の遺伝子あなたがいたから
第一回は三國連太郎 自分の好きなように  運命の人木下恵介
昔から凄い存在感のある俳優だと思っていました。
兵役拒否で逃げたらお母さんが密告したとか、田中絹代の夫役のために健康な歯を抜いてしまったという話は聞いていました。

木下監督の[陸軍]最後に田中絹代が演じる母親が出征する息子を見送って延々と軍隊についていく場面、名場面です。
あの時代にあの場面は勇気が行ったことでしょう。

銀幕デビューのきっかけは大監督の木下恵介。慧眼ですね。
三國さんの動機は「ご飯が食べたい」。あのころは皆さんそうですよね。三船敏郎も。

木の下さんの紹介をしていると三國さん感極まりウルウル。司会の西田さんも泣きそうになるのを必死でこらえていました。
のちに五社協定をやぶり「犬猫、三國入るべからず」と張り紙されました。ほかの映画会社に出るとシャットアウトされた酷い時代がありました。

三國さんは勉強家で親鸞の映画[白い道]を制作。WOWOWで放送。途中までしか観ていません。




田中正造足尾鉱毒問題を映画化した「襤褸の旗(らんるのはた)」は偶然。数年前街角でビデオを発見しました。先日徹子の部屋沢田研二の[魔界転生でとても色っぽい細川ガラシャ夫人を演じた佳那晃子が出ていて彼女もこの映画に出ていたことを知りました。何と西田敏行の妻になる役。この映画には中村敦夫も「幸徳秋水」役で出演。
随分前に観たので西田さんや佳那晃子さんが出ていたのも記憶にありません。

この映画ではトイレの近くの土まで食べちゃった三國さん、役者ですねえ。



田中に心酔した私はフィールドワークにも参加しました。寒い夜行バスで秩父を訪れ渡良瀬河・足尾銅山跡(一言も鉱毒には触れていなかった!)なども見学、日本の公害訴訟第一号と言われる事件です。
豊かな山野が銅の精錬のために丸裸、鉱毒で多数の被害者が出たのに、富国強兵目指す政府は放置、弾圧しました。さらに村人の家を強制破壊してしまいました。

衆議院議員だった田中は明治天皇に直訴するも狂人扱いされました。田中の権力は嘘をつくなどの言葉は忘られません。城山三郎の「辛酸 -- 田中正造足尾鉱毒事件」(角川文庫)も感動的です。

以下は引用です。
1950年の暮れ、知人を頼って上京した佐藤政雄さん(後の三國連太郎さん)は銀座で声をかけられる。「お兄ちゃん、映画に出てみないか?」黒澤明と人気を二分していた木下惠介監督だった。そして1時間後、三國さんは映画「善魔」の主役に抜てきされていた。そして、このデビュー作で演じた新聞記者の名前・三國連太郎を芸名とし、俳優人生をスタートさせる。当時小学生だった西田敏行さんは、この作品を映画館で鑑賞。三國さんが演じた純粋な新聞記者のイメージが、そのまま今の俳優・三國連太郎さんに息づいていると言う。
生涯の師・木下監督と袂(たもと)を分かつ

演技未経験の三國さんはわずか30秒のシーンにも手こずり、思うような演技ができなかった。木下監督は三國さんに「自分の好きなようにやりなさい」とだけ言い、見守ることに徹する。かつて木下監督の下で助監督を務め、その人となりをよく知る横堀幸司さんは「(木下監督は)好きじゃないと目も合わせない人。三國さんのことがたまらなく好きだったのでしょう」と話す。

しかし、三國さん自身は俳優という仕事に身が入らなかった。木下監督は三國さんを俳優座で学ばせ、ようやく三國さんは“自分のこだわり”を探しはじめる。そして、個性を生かせる作品を求め他社の作品に出演。五社協定※を破り、恩師である木下監督と袂を分かつことになる。

※日本の大手映画会社5社が結んでいた各社専属の監督や俳優などの引き抜きを禁止する協定
師の教えを胸に映画製作で評価

三國さんは様々なジャンルの作品に参加。「異母兄弟」では、30代でありながら健康な歯を10本も抜くことで老け役を演じきった。その情熱は止まることを知らず、1972年には自主映画「岸のない川」を製作。この時も木下監督は「自分の好きなようにやりなさい」と言葉をかけた。

50代で自分のテーマを見つけた三國さんは親鸞・白い道」を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。その後、晩年の木下監督が三國さんを招き、これまでの作品を丁寧(ていねい)に批評してくれたという。以降も俳優として幅広い役を演じ続けた三國さんにとって運命の人となった木下監督。三國さんは「監督から最後にかけられた言葉はやはり『思った通りに生きなさいよ』でした」と涙を浮かべ、生涯の指針となったその教えを静かに振り返った。

お若い時から非常にハンサムで目立っていました。
最近観た釣りバカ日誌ファイナル企業というものはそこで働く全ての人たちのもので、会長の私物ではない会社は自分のものではない経営が傾いてもしも辞めてもらうような選択をする時は、役員からそうしなくてはいけないと、残りの役員たちに釘を刺した場面がよかったですね。

この番組、最後に遊園地のコーヒーカップのように回ったのでびっくり!