riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">心残りのトワルドジュイ美術館見学</span>




ライレローズの写真もまだありますが又それは次回です。
今回、10の美術館を訪れました、その中で一番心残りはこのトワルドジュイ美術館。地球の歩き方などのガイドブックにも載っていない美術館です。



マリー・アントワネットもお気にいりだったトワルドジュイ。

貴族や庶民の男女や天使、風景画の柄です。
この美術館、トイレの便座もジュイ柄でした。

更紗物語
 
初期のフランス更紗は、モチーフや捺染法をインドに求め、実際に職人のユエをインドに派遣している。ジュイ更紗として知られているフランス更紗の製作は、パリ市より20キロ東南の所にあるジュイの街で、ドイツ人C・オーベルカンプにより創業された。
捺染の諸作業を示す、ジュイ更紗前ページのイラストの人物はクリストフ・オーベルカンプと職人たちであった。ご覧の風景模様の亜麻布のプリントは銅板を使ったジュイ更紗で中央の右端の子供連れの人物はオーベルカンプとその息子であり、更紗の用途はインテリア用である。
18世紀フランス更紗(ジュイ)
 18世紀のフランスの上・中流家庭では、1年間に2回室内装飾布を取り替える習慣があった。また、その施行は、家のステータスを示したので、特に異国趣味の布地には活発な需要があり、創業したジュイの工場にも大量の注文があった。。




昔は日本でもヨーロッパでも身分により布も制限されていました。
長い間庶民はごわごわした麻や楮(こうぞ)、藤(ふじ)などの植物繊維でつくる布を着ていました。色の制限もありました。昔から紫は高貴な色と、言いましたよね。中国では黄色でしたか。

中国から朝鮮半島経由で、養蚕技術と製糸技術が伝えられ、日本でも絹織物が
作られたけれどがこれは支配階級のものでした。

室町時代に朝鮮から綿栽培が伝えられ木綿が作られるようになりました。どこかで綿を頂いて育てたことがあります。

安くて肌さわりが良い木綿をがどんなにか喜ばれたでしょうか。

又、要らぬ方向へ。なぜかこのジュィ布に魅かれてしまいました。

もともとはインド更紗の影響を受けた布。
ヨーロッパの人も更紗に夢中になったようです。
私も知らずにティーカップなども使用していました。
ネットでバックや廃番カーテン生地を有名な安売り生地屋さんで購入。


ネットで検索するうちに
パリ郊外にトワルドジュィ美術館があることがわかり
ライレローズやフジタのアトリエとも遠くない事がわかりました。

上のサイトでは地下鉄からRERに乗り継いでまずはヴェルサイユシャンティまで、そこで再度乗り換えて一つ目のプティジュイレロッジで降りるとあります。
ヨーロッパの美術館には昼休みがあったり、土日はとまらない地下鉄の駅もあったりでロンドンでも苦労したこともあります。

フジタのアトリエは土、日は予約しなくていいし無料公開ですが土曜日は昼2時からでしたのでライレローズ見学の後、この美術館に先に行こうと思いました。
バスでポルトディタリまで戻り、トラムやメトロにのりかえてヴェルサイユシャンティへ、ここで又乗り換え、ところが又そこには遠いバス停まで行かねばならぬと聞いていったんは歩き始めたのですが、わからず、ヴェルサイユからタクシーで。
一日に一軒だけなら、簡単だったかもしれません。



ヴェルサイユ駅前のカフェでのランチ、オレンジとカレー味のチキンが美味しかったです。

このままではフジタのアトリエに間に合わないと思いいタクシーのドライバーに待ってもらいました。
そのためこの美術館に充てられた時間は非常に少なくなってしまいました。
前回のようにレンタカーだったら楽だったでしょうが。




この美術館、トイレの便座も赤いジュイ柄でした。





















ショップには可愛いものが一杯でした。
生地は売っていないので近くのお店で買うそうです。タクシーから見かけましいた。



そのお店も昼休みがあるそうですからご注意を。