<span itemprop="headline">シャペル・フジタ、平和の聖母礼拝堂</span>
松坂屋のフジタ展で礼拝堂のステンドグラスなどを観た時は大きなチャペルを想像してしまったのですがパリ郊外のアトリエと同じく慎ましくこじんまりとしたものでした。
チャペル敷地内のつる薔薇
戦争画の責任を一手に取らされ絶望されたのでしょう、1955年にフランス国籍を取得、59年に改宗、ランスの大聖堂で君代夫人とともに洗礼を受けた。
レオナールフジタとなった画家はかねてからの夢であった礼拝堂の実現に向けて動き始める。改宗の際の代父でもあったシャンパーニGHマム社社長ルネーラル―の尽力のおかげで礼拝堂はマム社の敷地に建設。ルネーラル―は費用の全額を負担。
フジタは礼拝堂の細かい装飾やフレスコ画、ステンドグラスのデザインまですべて一人で手がけた。
「礼拝堂は精神性に富み、幸福感に満ちあふれていなければなりません。簡素で慎ましくそれでいて威厳があり、人が何度でも訪れたくなるような安らぎを覚える場所」 でなければならなかった。
スケッチを繰り返し、模型も制作。フジタの模型は本当に素晴らしい、アトリエの階段、ズボンや教会のステンドまで精巧に出来ているのです。最初に観たのは松坂屋美術館のフジタ展です。
建築家モーリス・クロジエは画家から頻繁に届く手紙を丹念に読み解き、二人の間には親密な友情が育った。
17世紀以来12代続くランスのステンドグラス工房アトリエ・シモン・マルクのシャルル・マルクもフジタの夢を共に完成させた一人。
フレスコ画の制作には4カ月。一日も休まず朝8時から深夜11時過ぎまで。君代夫人は画家の寿命を短めたと嘆いた。
フレスコ画は漆喰を上塗りしそれが乾くまでに描き上げなければならない。
絵具の顔料が漆喰にしみ込んで混ざり合うことで完成する。すばやく筆を運ぶテクニックが必要。途中の加筆、訂正が一切できないため、瞬時の判断と高度な技術が必要。
絵具の顔料が漆喰にしみ込んで混ざり合うことで完成する。すばやく筆を運ぶテクニックが必要。途中の加筆、訂正が一切できないため、瞬時の判断と高度な技術が必要。
1966年落成式。国際ペンクラブ会長のガンドンのスピーチ
「ヒロシマの原爆記念館から礼拝堂には友情の絆がつながれている。あらゆる人種、あらゆる環境にある人間同士の友愛と言う絆。力の限り信じよう。平和の虹がこの礼拝堂の上で…暴力と言う不吉な幻影から国々を守る守護のアーチをかけてやまないことを」
パリ郊外のアトリエとこの礼拝堂に辿りつけて幸せでした。
黒人のマリアや子供たちに囲まれて嬉しそうな藤田の写真も残っています。
下のサイトに綺麗な写真があります。私が行った時は礼拝堂、ランス美術館、パリ郊外のフジタのアトリエ、すべて撮影禁止でした(泣)