<span itemprop="headline">ハート・ロッカー</span>
当然でしょうね。
映画館で見る気がしなかった「ハート・ロッカー」テレビで見ました。やはりねえ。
戦争が麻薬となって半分以上、おかしくなっている人間。
こんなこと書くとまた逆差別を言われるかもしれませんが。
中電浜岡停止要請署名やデモは女子高校生が始めました。
男子学生に協力頼んだけどだめだったそうです。
以下は超映画批評の引用です。
アカデミー賞はアメリカ映画界の業界人の政治的思惑で決まるものであり、作品の出来は二の次ですよと私は常日頃から言っているが、それを陰謀論だのユダヤのなんとかだのと批判する人がいる。
だが誰かの陰謀と政治的決定とは似てまったく異なるもので、そもそも多数の会員の投票で決めるアカデミー賞に、陰謀だの八百長の余地はない。ただ会員の構成を見れば、そこに「暗黙の了解」「みんな空気読めよ」的なものがあるのは当然の事だよと言っている。
2004年、イラクの首都バグダッド。いまだ治安の回復しないこの地で、米陸軍ブラボー中隊の爆発物処理班は、日々過酷な任務をこなしていた。そこに前任者の殉職により赴任してきた新リーダー、ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)は、死をまるで恐れぬ態度で周囲を戸惑わせる。彼はあたかも死を望むかのように、ほとんどギャンブルのような危険な処理を率先して行うのだった。
ここに出てくる米兵たちは、略奪もしなければ非人道的な所業を平気で行う悪魔でもない。死の恐怖におびえ、砂漠で孤独を感じ、ときには仲間同士でケンカもするお茶目なやんちゃ坊主たち。ダメな部分もあるがそれも含めて愛すべき人間なのである。この映画のもっとも際立つ特徴は、米軍を人間的に描いたというこの一点にある。
主人公がまだ言葉も理解できないほど幼いわが子に、寝床で語りかけるシーンがある。ここでこの男が、決定的に狂っている事が観客に知らされるが、しかしここで主人公を異常者と認識する人はいないはずだ。決して彼に対する共感が消えぬよう慎重に組み立てられた、この重要な演出の理由を考えるべきであろう。
この監督は、シリアルが一列ずらりと並んだスーパーマーケットのきわめて衝撃的なショットで、"観客の心がこの主人公の気持ちに同調するよう" 意図的に誘導しているのだが、ここで自分が操られていると気づいたお客さんはどれだけいただろうか。
あなたは操られていませんか。