<span itemprop="headline">中山晋平記念館と憲法音頭</span>
河村名古屋市長は又一部の受けをねらう発言をして南京との友好を台無しにしています。
「「てるてる坊主」「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」」「シャボン玉」「雨降りお月」「證城寺の狸囃子」「兎のダンス」 など民衆に愛された歌を作曲した晋平が晩年を過ごした熱海西山の家を移築したものです。
愛用のピアノや直筆の譜面などが展示されています。
ここにタウトの旧日向邸のポスターが貼ってありましたので電話して、無事見学予約が確認されました。
鴨居が低く、今のちょっと背の高い人なら頭ぶつけるかも知れません。
「ララ、歌は流れる 中山晋平物語 」
ナレーションは島倉千代子
山下洋輔 が「砂山」を演奏しコメントしています。
日本音楽”あけぼの”の時代。
合唱団の歌唱も郷愁を誘います。あの歌もこの歌も中山さんの作曲。
曲に合わせて子供たちが踊ります。
戦前は良い家に生まれても親が早くなくなると丁稚奉公に出されるなど苦労しましたね。
代用教員の収入の5分の1になってもこの道を選んだのです。
松井須磨子 に歌を教えるのと、「教師でありながら流行歌を作るとは」の批判には悩んだ。
いつの時代にも余計なことを言う人たちがいるものです。
戦争中は戦意高揚の曲作れと強要されほとんど作曲ができなかった!
戦後依頼された「憲法音頭」はたった1年の運動に終わったとは。
何でも政治から逃れることは出来ないです。
熱海の夜景です。