riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">蹴上インクラインと旧第2蹴上発電所</span>




昨日はウン十年ぶりで友人と再会しました。

彼女はフルタイムの仕事を持ち二人のお子さんを育てたのでお忙しくてなかなか会えませんでした。

北陸から知多に行く途中に名古屋へ寄ってくれました。

駅で階段降りてくる彼女、すぐわかりました。

ある職業のしっかりしたお顔しています。

それから高島屋のレストラン、カフェ、名鉄のフェアリーガーデンと場所を変え4時間ぐらい話しこみました。

原発事故の話も出ました。彼女は家族親戚で外国に逃げたいとお連れ合いに言ったら「俺は日本で死ぬ」と怒られたそうです。

私も出来たら逃げたいけど無理でしょう。

この情けない国でがんばっていらしゃる方も多いのです。

映画「タイタニック」の年配夫婦や楽団の人たちが覚悟して沈んでいく場面思い出します。

何組も和装洋装のお嫁さんを見かけましたが前撮りらしいです。

鴨川でも靴はスニーカーのウエデイング姿見かけました。



インクラインは「傾斜鉄道」と訳され、水運において流れが急な場所などで船を台車に乗せて移動させることができる仕組みを持ちます。

琵琶湖の水を京都に引き込むために作られた琵琶湖疏水ですが、もう一つの目的として、大津から京都の間を移動する荷物や人を船で運ぶ物流ルートの開拓がありました。

水位の差があった蹴上地区と伏見地区にインクラインを設けることで、船が行き来できるようになり、明治時代末期には13万人もの人を運ぶまでに発展しています。

ところが大正時代に入って鉄道や道路が開通したことで、時間のかかる水運は衰退し始め、昭和20年代にはインクラインは廃止されてしまいます。しかし琵琶湖疏水インクラインが京都の近代化に残した大きな功績を未来に渡って語り継ぐために蹴上のインクラインについては当時の面影を残す形で保存されました。










巨大な耀き






旧第2蹴上発電所
日本初の事業用発電所です。1912年 5月第二蹴上発電所運用開始
旧第2蹴上発電所
日本で最初の水力発電所は、京都・蹴上の琵琶湖疎水を利用した「蹴上発電所」(明治24年竣工)。12月からは京都電灯会社に電力の供給を開始し、3年後に開通する市街電車もこの発電所の電気で走りました。旧蹴上第二発電所は明治45年に完成。現在は関西電力蹴上変電所として現役です。明治45年には蹴上浄水場も完成し、京都市内に上水道の供給が開始されています。











ランチしたレストランの有名作庭家の話は次の機会に。




追記
日曜美術館藤田美術館を知りました。元奇兵隊隊士の藤田伝三郎は琵琶湖疏水の工事請け負いました。