riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">本多光太郎ロボットと赤レンガ岡崎信用金庫</span>

 短か過ぎる動画です。
岡崎本多邸のある東公園の坂道登ると池や本多光太郎の勉強部屋が見学出来ます。なんとロボットが~
テレビ、電子レンジなど今の生活に欠かせないは発明はこの方の業績無しには…
なかなかユニークな方ですね。
無類の実験好きとして知られ、「今日は晴れているから実験しよう」と言って実験室に籠もり、その翌日雨が降れば「今日は雨だから実験しよう」と言ってやはり実験をしていたと言われる。また自身の結婚式に姿を現さないため、よもやと思って探しに行ったところ大学の研究室で実験をしていたという逸話もある。 自身が指導している研究者に対しては毎日のように実験の進行状況を「どおだあん(どんな状況だ?)」と言って確認していただけでなく、論文に対しても細かい指示を行っていた。このため、本多が輩出した研究者たちは「本多スクール」の出身者ともいわれる。本多は研究者としてだけでなく研究指導者としてもその才能を発揮していたといえるだろう。 身の回りの細かいことは気にかけず大雑把であったという。
  • 東北帝大総長当時、式典での総長による教育勅語朗読は、少なくともどこか一ヶ所を読みが間違うか読み飛ばすのが常であった。
  • 羽織は紐の結び目が左右で大きく偏って結ばれ、雨でも晴れでもいつも洋傘を手に歩いていた。「傘があれば、雨でも濡れんでええわなあ。晴れなら荷物と反対の手にバランスが取れてええわなあ」と語ったと伝えられる。
  • 身なりもこだわらず、着物は古いものをいつまでも長く用い、履物は底が相当磨り減るまで履いた。
雑種の犬を連れて大学に出勤したと伝えられている。
 
 
 

 
<関係地> 本多光太郎館(岡崎市東公園)岡崎市欠町大山田1-1 (名鉄バス東公園口下車徒歩5分)
         岡崎市新堀町の生家

<業績>
  彼は,長岡半太郎(ながおかはんたろう)の指導の下に,磁気のひずみの研究を行った。その後,鉄および鉄合金の研究に進み,強力な磁石鋼であるK・S鋼を,1933年(昭和8)にはその4倍近い保磁力をもつ新K・S磁石鋼を発明し,文化勲章を受賞した。住友吉左衛門の寄付によって完成されたので,その頭文字をとってK・S磁石鋼と名付けられた。彼は,鉄鋼の世界的権威者としてその名を知られ,鉄鋼の父「Steel Father」と呼ばれている。
  彼が人一倍努力家であったことも有名である。尋常小学校の頃は,「鼻たらしの光さん」と呼ばれていたが,高等小学校のころ,「生まれたからには,世の中のためになることを一つや二つはしなくては」と学に志し,「人間は粘りだ,努力だ」と,人の二倍,三倍かけて努力を重ねた。彼の座右の銘「つとめてやむな」も,こんな彼の努力家としての人生からきている。  
 
 

 
 

 
二階の勉強部屋
 

 
 

 
茶室も動物園もあります。
 

 
本多邸の記事はまだ続きますが岡崎信用金庫の雄姿ご覧ください。
 

 
二階も展示室
 

 
 

 
 

 
 

 
一階は子供たちの絵の展示