riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">修学院離宮見学その2</span>


 
うん十年ぶりの修学院離宮参観ははがき申し込みだけでなく、直前のネット申し込みが出来るようになっていました。でも当否はすぐわかりませんから余裕が要ります。拝観料は必要ありませんがちょっと面倒な所です、でも見る価値は大いにあります。
1時間20分ぐらい、次々と鍵を開け閉めして係員が説明してくれます。砂利道坂道もありますから一寸良い運動になります。
 

 
17世紀中頃、後水尾上皇によって造営され、上・中・下の3つの離宮からなり、借景の手法を採り入れた庭園として、日本を代表するものです。
修学院離宮を拝観するには、3ヶ月以上前に京都宮内庁へ参観願を出す必要があります。
拝観料はかかりませんが、当日連絡なしで行っても、入ることはできません。
少々面倒ですが、一度は訪れてみる価値のある名刹。
広大な敷地(約3kmの道のり)から見る景色は、寺社仏閣の景色とは異なり、圧倒的なスケールの大きさを感じさせます。
 
 

 
 

 
 
 
離宮の御幸門から、御興寄、寿月観へ。寿月観の額は御水尾上皇の筆
 

 
 

 
 

 
 
寿月観から観るこぶしの花
 

 
 

 
 概説
 比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなり、上離宮背後の山、借景となる山林、それに三つの離宮を連絡する松並木の路と両側に広がる田畑とで構成されている。総面積54万5千㎡を超える雄大な離宮である。明治期に宮内庁の所管となるまでは離宮を囲む垣根も全周にはなく、自然に対して開放された山荘であった。
 下離宮には、創建時では最大の建物の彎曲閣があったが、比較的早い時期に失われ、今は南を庭園に囲まれた寿月観が残っている。中離宮には、楽只軒と客殿があり、やはり南に庭がある。上離宮は、修学院離宮の本領であって、谷川をせき止め浴龍池とよぶ大きな池を中心にすえた回遊式庭園となっている。その浴龍池を一望におさめる東南の高みには隣雲亭、中島に窮邃亭がある。山麓に広がる離宮のため上と下の離宮の標高差は40m近くあり、大小の滝に加えて水流の早い小川もあり、どこにいても絶えず水の音を聞くことが出来る。昔は畦道にすぎなかった松並木から眺める風景もまたすばらしい。
 


丈が抑えられた松並木を通って中離宮へ。左右に田園風景。
 

 
 

 

 

内親王のための御所が前身なので華やか~、ここで写真容量一杯なので今日はここまでです。
 
中御茶屋 [編集]
後水尾上皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年寛文8年)造営された朱宮(あけのみや)御所が前身である。朱宮御所は上皇の死後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められていた。1885年(明治18年)、楽只軒(らくしけん)と客殿を含む、林丘寺境内の約半分が宮内省に返還され、修学院離宮の一部となった。なお、林丘寺は門跡尼寺として今も存続している。楽只軒は前述の朱宮御所の一部で、1668年(寛文8年)頃の造営である。書院造客殿は、1677年延宝5年)造営された東福門院後水尾天皇女御、徳川2代将軍秀忠娘)の女院御所の奥対面所を移築したものである。客殿一ノ間の霞棚は、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られる。