riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">福島第一原発神社~荒ぶる神を鎮める~</span>


 
 
あいちトリエンナーレ二回目です。
揺れる大地  われわれはどこに立っているのか
場所、記憶、そして復活
これは名前聴いただけでドキッとしました。
当時ニュースで建屋、建屋って初め何かと思いました、観れば原発なのに貧弱そうな代物、建築物とも呼べないほどなんですね。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
事故を起こした福島第一原発。その原子炉を鎮め、今後1万年以上にわたって高レベル放射性廃棄物を現状のまま水棺化して安全に保管するために、原子炉建屋にアイコンとなる和風屋根を載せて神社ないしは廟(マウソレウム)として丁重に祀(まつ)るプロジェクトを、建築家の宮本佳明が200分の1の模型によって提示します。以下は宮本の解説。
最終処分場はおろか中間貯蔵施設の敷地さえも決められない現状では、たとえ廃炉解体に成功したとしても、それにともなって発生する大量の高レベル放射性廃棄物を原発敷地外に搬出すること自体がそもそも不可能である。一方で、福島第一原発の敷地内で地層処分を行うことも、処分場として想定される地下300m以下の地質や地下水等の条件を考慮すれば現実的ではない。とした時、むしろきっちりと補修を施した原子炉格納容器に水を満たし、いわゆる「水棺」状態のまま十分な低線量になると考えられる1万年以上の遠い未来まで、どんなに手間とコストが掛かろうとも安全な状態に維持管理し続ける以外に、私たちに残された道はない。気休めの「安心」であればこれまでと同じように簡単に得られる。しかしそれが、真に「安全」を担保することは別物であることを私たちはすでに学んだ。可能かどうかの問題ではなく、現状のままで見守るように管理を続け、原子炉の最期を看取る以外に、おそらく上手い方法はない。
最も必要なことは、「それ」が危険であるということを明示することである。しかも、文化や言語さえも変わっているであろう1万年後の人類(それは日本人なのか?)に対してである。いい換えれば、それは、事故を起こした原子炉建屋外壁に描かれた紙吹雪のような「書き割り」の欺瞞を暴くことでもある。今にして思えば、あの水色の紙吹雪は危険を隠蔽するための装置であったのかも知れない。危険なものを危険であると知らしめること、本来それもまた建築の大切な役割であるはずだ。「建屋」とは一体何だろうか?建築ではないのか。建屋(英語ではbuilding)という得体の知れない箱を建築(architecture)として機能させるために、アイコンとなる木造大屋根を建屋に付加することを提案したい。しかもそれは、寺社殿が戴くような大仰で様式的なデザインのものが良い。敬しても、決して近寄ることは許さない、荒魂を祀るアイコンとしての和風屋根である。山形県米沢市には上杉藩代々の藩主を祀った上杉家廟(1623年〜1876年、国指定史跡)があり、藩祖謙信公を中心にして12代の廟堂が威風堂々と横一列に並ぶ。5号機と6号機、さらには第二原発の4基を加えて計10基が海に向かって立ち並ぶ福島原発神社は、あたかも巨大な上杉家廟を連想させるものになるだろう。
工学的には、木造大屋根が爆発により損傷した原子炉建屋を雨風から護り、その大屋根を支える鉄骨造の構造体が建屋の耐震補強を兼ねることで、全体として堅牢な覆屋(鞘堂)を構成する。BRW-4型の原子炉を内蔵する2〜4号機建屋(W44.93m×D44.93m[上部33.93m]×H46.05m、総RC造)には向拝付き入母屋屋根を、一回り小さいBRW-3型原子炉を内蔵する1号機(W41.56m×D41.56m[上部31.42m]×H44.75m、RC造一部鉄骨造)には向拝のない宝形(ほうぎょう)屋根を載せる。2〜4号機大屋根の寸法はおよそ、梁間方向82m、桁行方向75m、最高高さは88mとなる予定である。4棟それぞれが東大寺大仏殿に匹敵する規模である。意匠も重要である。特に向拝部の中備(なかぞなえ)には、東北の太平洋沿岸によく見られる大津波の彫刻を施した蟇股を用いる。また海老虹梁(こうりょう)や頭貫木鼻(かしらぬききばな)の繰形にも、記憶の継承のために波の意匠をあしらいたいと考える。
防護服を着た神官たちが日々原子炉に向かい祭祀を司る向拝部は、奇しくもかつての中央制御室の真上に当たる。彼らの最も重要なミッションは、今後1万年以上にわたって事故の記憶を正しく伝承して行くことにある。そのためには、社殿のメインテナンスにはむしろ手間とコストがかかった方が良い。例えば屋根の仕上げは定期的に葺き替えが必要でかつ材料も手に入りにくい桧皮葺きとするべきである。将来の建て替えに備えて、新たに森林の育成にも取り組まなければならないだろう。記憶の正しい継承のためには、まずは文化財指定を行って国宝とするべきであろう。さらには「負の遺産」として世界遺産登録を目指すべきだと考える。あらゆる手立てを総動員してとにかく事故の記憶を絶やさないこと、それが荒ぶる神を鎮めるために最も大切なことである。
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トリエンナーレ会場の一つ、愛知県芸術文化センター、ここに原発があったらどんな大きさなのか、地下などにラインが引いてあります。
外観はこちら福島第一さかえ原発
 
右、ソ・ミンジョ「ある時点の総体」高等裁判所今の市政資料館の地下留置所を再現、本物も冷たい感じでぞっとする場所です。
市政資料館は立派な赤レンガ建築でステンドグラスも綺麗です。友人も案内しています。あいち女性映画祭もこの建物の向かいウィルあいちで始まっています。
 
オノ・ヨーコの「光の家の部分」はとても綺麗ですが撮影禁止、テレビ塔などでも展示
 
 
 
 
オノ・ヨーコの参加型作品 「ウィッシュ・ツリー」を県内各地で展開します

 あいちトリエンナーレ2013(会期:2013年8月10日~10月27日)では、オノ・ヨーコの出品作品の一つとして、彼女のインストラクションに従い、願いごとやメッセージなどを短冊に込め、木に結ぶという参加型作品「ウィッシュ・ツリー」を、名古屋テレビ塔下をはじめ県内各地で展開します。
 このたび、開幕に先立ち、7月18日(木)に知事と地元小学生の参加によるウィッシュ・ツリーのイベントを開催しますのでお知らせします。
 http://aichitriennale.jp/news_data/2012/11/001865.html
小学校低学年 街の作品 
 街中の水たまりに足を踏み入れなさい。
1963年秋
小学校高学年 影の作品
 あなた達の影がひとつになるまで、
 重ね合わせなさい。
1963年
中学生・高校生 鼓動の作品
 心臓の鼓動を聞きなさい。
1963年秋
※ 特別支援学校の児童・生徒については、年齢別に配布予定
 
「グレープ・フルーツ」読んだ時も感動しました、これも。まだ観ていないのですが。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サン・チャイルドの裏側、正面は前に載せました。左のほっぺも怪我しています。
ヤノベケンジが、東日本大震災からの復興への願いを託して制作したサン・チャイルド、傷ついた顔の子供が放射能防御服(アトム・スーツ)を脱ぎ、手に太陽を持って空を見上げる彫像です。