riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">山崎豊子氏追悼</span>

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昨年9月に旅したスイスの眺め
 

 

山崎豊子さん 体力落ち口述筆記になっても遺作を書き上げた

NEWS ポストセブン 10月4日(金)16時6分配信
 9月29日、作家の山崎豊子さん(享年88)が心不全のために亡くなった。膨大な取材と実地調査に基づいた社会派の長編小説を相次いで発表。大学病院の腐敗を描いた『白い巨塔』や、日航機墜落事故を題材にした『沈まぬ太陽』など、作品が世に出るごとに大きな反響を呼び、その多くがドラマや映画となった。

「山崎さんは、1作品書き上げるたびに“もう作家をやめる”と言っていました。取材対象者を200時間以上インタビューするなんてこともザラで、他の作家と比べても圧倒的な取材量でしたから、その分、精神的、肉体的な負担も尋常ではなかったんです。

 でも、“やめる”と言うたびに、恩師であり新潮社の名物編集者・斎藤十一さん(享年86)に“作家は棺に入るまで書き続けろ。書くのをやめたら、お前は終わりだ”と諭されて、再び書き始めるんです。彼女の人生は、その繰り返しでした」(山崎さんの知人)

 5年前からは歩行が不自由になるとともに、全身に激痛が走る原因不明の疼痛症に悩まされ、車椅子生活を余儀なくされていた。

 遺作となったのは、8月から『週刊新潮』に連載中の小説『約束の海』。冷戦期の海上自衛隊員の物語である。

「山崎さんは、痛みに耐えながらも山のように積み上げた資料を読み、体調が良いときには自ら車椅子で駆け回り、関係者に取材していました。また体力が落ちてペンも思うように扱えなくなったため、筆圧がなくても書ける細い筆ペンを用意して、自らの力で書くことにこだわっていました。最後は、ペンを持てなくなり、口述筆記になることもありましたが、“どんなことをしてでも書き上げる”という山崎さんの執念を感じました」(前出・山崎さんの知人)

 そんな山崎さんが息絶えたのは、『約束の海』の20回分の原稿を全て書き終えたすぐ後のことだったという。

女性セブン2013年10月17日号
 
今朝の「サンデーモーニング」でも取り上げていましたが、
 
 
人間の壁』、『金環蝕』の石川達三と同じく社会派の作家でドラマや映画になったので皆さんもご存じでしょう。
 
私は上記の三氏や密約事件では澤地房枝氏の作品の方を読み、山崎氏の「運命の人」は1巻しか読んでいません。
でも「大地の子」「白い巨塔」「運命の人」のドラマには強く惹かれました。
 
 
“どんなことをしてでも書き上げる”
生き残った者にはやらなければならないことがあると言うような意味を言われていた山崎氏、立派な生涯ですね。
 
今はこの様な骨太の社会派作品がベストセラーになりにくいのでしょうが問題はもっと深刻、大きくなっていますのでそのような作品が出ることを期待してます。
 
広瀬隆氏の「チェルノブイリの少年たち」「赤い盾」「東京に原発を」
ジョン・ウェインはなぜ死んだのか」など読んだことも思い出します。