<span itemprop="headline">モッコウバラと桜の千本閻魔堂</span>
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ホテルの掲示板でまだ見ごろの桜が紹介されていたので、植物園、仙洞御所に行く途中にはじめてこの通称千本閻魔堂に寄りました。
何と黄色モッコウバラト桜の競演でした。
- 遅咲きの八重桜で散るときは花冠ごと落ちる。
紫式部の供養塔がここにあるとは…
以下は閻魔堂HPより
百人一首の歌人として知られる小野篁卿(802~853)は、この世とあの世を行き来する神通力を有し |
たとされており、昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰に仕えたとの伝説を残しています。篁卿は、閻魔 |
法王より現世浄化のため、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、後に我が国の |
伝統習慣である「盂蘭盆会(お盆行事)」へと融合発展する法儀「精霊迎えの法」を授かりました。 |
その根本道場として、朱雀大路(現・千本通り)の北側に篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み建立した祠 |
が当ゑんま堂の開基です。 |
往古の朱雀大路頭(すざくおおじがしら)船岡山の刑場の麓に植えられた当山発祥の桜です。 |
一ひら二ひらではなく、花冠のままぼとりと落ちるこの桜の散り様が、さながら斬首される囚人の |
姿に似てるため、中世の所司代は、この花を獄舎の囚人に見せ、仏心を起こさせたとも伝わって |
います。応永15年(1409)、後小松天皇の薦めで当山を参詣した将軍・足利義満は、境内に咲き誇 |
ったこの桜に感服したそうです。 |
全部見たわけでないので間違っていたらごめんなさい。
引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区にある高野山真言宗に属する寺院である。一般には千本閻魔堂(せんぼん えんまどう)の通称で知られている。春の念仏狂言で知られる。引接とは、仏が我々人間をあの世に導いてくれるという意味である。その名の通りこのお寺は、かつての京都の3大墓地てあった化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)のひとつ蓮台野の入り口に立っている。
寛仁年間(1017 - 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 - 853年)を開基に仮託する説もある。文永10年(1273年)、明善律師によって中興された。
普賢象桜