riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">②安倍晋三による精神的拷問国家の誕生!</span>

 
 
既に精神的拷問は、その形を変え、
原発からの放射性物質の膨大な拡散で、
肉体的拷問を福島以外の広い地域にも、
じわじわと拡大させ、侵攻させ続けている。
 
 
その実態を隠し、更には度外視しながら、
舞台を集団的自衛権だけに振り向けて、
これを国民全体への
心身拷問策にする。
 
 
NHKと読売は
その2大プロパガンダだ。

 
 
 
東北に端を発した放射性被爆の事実は、
健康被害の因果の受け入れを誤魔化し、
結局は
被害の有る者と無い者との間に壁を作り
人間の互いの心を戦争状態に追い込んだ。
 
 
100万人に数人の確率の甲状腺ガンが、
この福島の圏内でも数十人に及ぶ事実にも、
福島には「住むべきではない」という言葉に、
血相変えるような風評への摩り替えにされる。
 
 
それが同じ福島の県民感情にもなっている。
 
 
「鼻血」の現実の例を言うだけで
ただ放射能とは関係ない」と植えつけられ、
被曝の不安への確信にしたくない、という、
無意識の逃走本能に摩り替えた果てに、
「そんなことは見たことも聞いたこともない」
という意識に逃げ込まされてきているのだ。
 
 
だからマスコミや行政がその心理を利用し、
真相を隠す事実を用いて風評作りをする。
 
 
 
発端は実に単純な初期段階で始まった。
 
 
まず何よりも、避難先へと逃げ込まされ、
「帰りたい、けど『帰れない』でしょう」
という非業な覚悟に突き落とされても、
その非業に打ち克つ強靱な決意に向け、
東電県知事行政が我が身の保身に奔り、
県民を唆(そそのか)非道の策略を捻り出す。
 
 
それが、「帰りたいけど《帰れない》という、
避難者の覚悟の言葉から、マスコミを通し、
全国に流したのが、
《帰れない》を打ち消して
帰還願望だけを募らせる
「帰りたい」という声だ。
 
 
「みんな」が「帰りたい」と言っている、
と、日本中に振り撒いたのだ。
 
率先して報じたのが、言うまでもなく、
NHKであり読売という原発媒体である。
 
 
日本の人々は、それを知ることもなく、
「帰りたい」というだけの受け止め意識で、
県民に向けてあらぬ錯覚の中傷を始めた。
 
 
福島県民はバカだ、アホだ」と。
 
 
日本人の大方も、輪をかけてアホだ。
 
 
まるで理不尽のように虐げられた中で、
それでも刻み込む「がんばろうの思い。
 
 
迂闊に吐き出すものではない。
 
 
興味本位のマスコミが拾い上げた言葉は、
一斉に「がんばろうフクシマ」にされて、
今度は、東京から「フクシマ応援してますよ」
に見て見ぬフリの偽装に置き換えられた。
 
 
浜通りいわき市を基点にするかのように、
中通り:福島や郡山、会津は目論見通り、
NHK大河ドラマの八重の桜で誤魔化し、
日帰りで済むような催しごとを繰り返す。
 
 
 
テレビで見かける芸人・タレント・有名人が、
「食べて応援」の「頑張ろう」表現の看板だけで、
「来てくれて嬉しい」大人や子供が喜ばされ、
1日2日の滞在で
さっさと福島を後にする。
 
 
東京や大阪の大都市に帰った後で、
やって来た連中は福島を語りもしない。
 
 
テレビやマスコミに福島の「ふ」の字も出さない。
 
 
 
どんだけバカにされりゃ気が済みますか
 
 
暢気な県民は、それでも、
「あの人『来てくれたのよ』」で喜んでいる。
 
 
全員が全員、
『来てくれた』のじゃありません
 
 
森まさこと同じ、子連れで逃げたままです
 
 
半日、一日、福島で過ごすだけです
 
 
「何度も来て『くれている』人」たちは、
安倍晋三と同じように、住まない限りは、
何度でも来て
『くれるんです
 
 
喜ばせ、楽しませておきゃいいのさ
でね。
 
東北の人たちはみな、
大輪の花を咲かせようとして、
或いは、
揺るがぬ大樹になろうとしてか、
素晴らしい大地に根を張って、
人は強く気高く生きてきました。
 
 
 
福島の多くの人々が、残酷なことに、
その根を全て断ち切られ、
その身を運び去られるように、
動き、移るしかなくなりました
 
 
 
枯れ花、枯れ木なるしかないでしょう。
 
 
これは肉体的にも精神的にも、
もはや、
拷問と同じ残酷さ
です。
 
 
それでもまだ、根は残っているから、
と、不毛な夢を与え続けています。
 
 
根が健全に育つ場ではないのに、
その夢に人を縋らせようとするです。
 
 
そうした風景の趨勢は全て、
浜通り双葉郡を舞台で作られました。
 
 
受け入れたくなくても、
受け入れるしかない、
そんな人々の方が多い福島。
 
 
覚悟を決めるか決めないか、
などという問題ではない
 
 
放射能と仲好くなれる暮らしなどない。
 
 
それでも現実を直視するしかなくて
生き死にを思う心さえ打ち消しながら、
多くの人たちが福島で生きていく。
 
 
 
心ある人々が喪心に陥ることなく
心だけは汚染に塗れない決然の思いで、
寂寥の思いでの日々を綴っておられる。
 

そうした人々は、多分きっと、
「要らんことを言わないで」
とはおっしゃらない人たちだ。

 
泰然たるある種、冷めた綴りからも分かります。
 
 
その人たちは、泰然の悟りの中で、
風評に拘りもせず鼻血も事実と受け入れる。
 
 
真相が何たるかを感じ、察している、
からに他ならない
 
 
 
オイラはただ、だからこそ、
この汚された大気に覆われる地でも、
その崇高な心の人々の意識の下に、
心の鎮座の場にしてヨロヨロと生きる。
 
 
 
決して、オロオロとは生きたくない。
 
 
 
 
 
 
顔で笑って心で泣くも良し 
素顔のままの泣き顔も良し
Stanley Turrentine - The Man With The Sad Face
http://www.youtube.com/watch?v=xpQ3j0_X43Q&feature=player_detailpage

 
【めいろの:悲惨なのは心の障害②】2014.5.29-④
 
 
 
 
 
 
 
 


転載元: 感性のmeiro