<span itemprop="headline">戦死やあわれ竹内浩三</span>
再放送がありました。
10,20代の若者を有無を言わせず戦争に引っ張り出す。
天皇のために死ぬのが名誉、当然のことだった。またそんな世の中にしようとする空気が許せません。
若者は投票し安部政権を阻止してください。
そうでなければ人権を踏みにじられたり他国に犠牲を強いるのはあなたになります
政治はあなたの生活に直結しているのです。
前の大戦前には男子でも財産による制限で選挙権ない人たちがいました。
女性はなおさら、政治的にまったく無力でした。
宇治山田市吹上町に生まれた。宇治山田中学校在学中より友人と回覧雑誌を製作。1940年(昭和15年)日本大学専門部映画科入学。1942年、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。同年、日本大学を卒業、入営。1945年4月、フィリピンにて戦死。
入営中に記された日記(筑波日記)などに書き残された詩は、青年のみずみずしい感情を歌っている。
「骨のうたう」は、1942年8月3日の日付が書かれているが、1948年に中井利亮編『伊勢文学』第8号に「遺稿」として原型が掲載され、1956年中井利亮編『愚の旗―竹内浩三作品集』刊行に際して現在人口に膾炙している形になった。また、「望郷」は1943年5月『伊勢文学』第6号初出。
竹内は姉に無心して当時高級だったコーヒー飲んだりレコード買ったり文化的な生活。
映画監督になりたかったのに徴兵されて望みは絶たれました。
女性に振られる話も一杯、ユーモアがあってその作品に声をあげて笑わされることもあります。
ゲートルもうまく負けないという不器用で、当時兵隊になったらいじめられるに決まっています。
上官からの酷いリンチに耐えかねて便所で自殺した青年もいます。
兵役逃れは出来ません。家族も村八分にされます。
竹内はトイレで日記を書いたというので大物です。
当時、一介の兵隊が日記など書けません。
本当の心は押し隠さなければなりません。
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や