<span itemprop="headline">幣原首相が提案した憲法9条「戦争放棄」によって、米ソ冷戦時代を守られた日本</span>
幣原喜重郎・・・・深謀遠慮の宰相
米国の方針は日本の共産化をふせぐために天皇制を存続させるということとなっていた。だが、他方で、ソ連は天皇制廃止を強硬に唱え、オーストラリア、ニュージーランドなどは天皇がいるかぎり日本が再び軍国化するにちがいないと恐れている状況だった。マッカーサーは困っていた。
当時、日本政府がこんなことを提案することはおろか、閣議で話題にすることすら不可能だったからである。それは国体に触れることだったから。それ以上に、非武装宣言は幣原自身いうように「狂気の沙汰」としか受け取られまいとも思われた。だから、幣原はこれをGHQから日本に「押し付ける」かたちを取るほか方法はなかった。
誰よりも多くの戦争の悲惨を見てきたマッカーサーは、非常に感激して、幣原の申し出た戦争・戦力放棄条項を受け容れ、2月3日に「マッカーサー・ノート」三項目を発した。第一項は天皇制維持、第二項に戦争・戦力放棄、第三項に封建制度廃止が記された。こうして、その後、マッカーサー草案に、そして、日本国憲法9条に、戦争・戦力放棄条項が入れられることになる。
幣原が正面からマッカーサーに明らかにした三羽目の鳥は、理想としての世界平和であった。戦前外務大臣として軍縮条約のために交渉に携わって列国のエゴイズムを知りぬいた幣原の理想のことばにマッカーサーは感激した。また、「後世、予言者と呼ばれることになりましょう。」ということばは、歴史に自分の名を残したいという野心をもっていたマッカーサーの胸に響いたようである。
幣原にはマッカーサーに対しても秘匿したもう一羽の鳥があった。
彼の側近であった平野三郎に最晩年に遺言に近いかたちで語ったことの記録(国会図書館内にある憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵))にはしなくも漏らされている。「日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。」と。彼が意図したとおり、日本の青年たちは、東西冷戦のなかで行われたベトナム戦争をはじめとする戦闘に、米国によって狩り出されないで済んだのである。ベトナム戦争に狩り出されて五千人もの戦死者を出した韓国のいたましさを思うと、どれほど多くの日本人が幣原に恩を感じるべきかと思う。
やがてマッカーサーは自分が幣原の深謀遠慮にはめられたことに気づいたようである。1950年5月3日憲法記念日、幣原は衆議院議長としてマッカーサーを訪ねている。そのとき同行した衆議院事務総長大池真の手記に次のようにある。
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幣原首相が、マッカーサーに提案した「戦争放棄」
それを、今、どうして?アメリカの戦争に日本国民を差し出すようなことをするのでしょうか?
憲法9条は、先人(幣原首相)の平和主義に感謝し、国民を戦争から守ったことを誇りに思い、永久に守り続けるべきものでしょう。
それをないがしろにする集団的自衛権=戦争立法の数々は、決して許してはいけないと思います。
転載元: mimiの日々是好日