<span itemprop="headline">江戸時代の人も猫に夢中 いつだって猫展</span>
いつだって猫展
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もうすぐ終わってしまうのでフィットネス帰りに寄りました。
Pに入る車が並んでいたり近くのお店の人が「こんなに猫が好きな人が多いんだあ」と感心するぐらい混んでます。
「いつだって猫展」では浮世絵を中心として、江戸時代に巻き起こった「猫ブーム」の諸相 をご紹介いたします。きっと私たちが猫に抱くイメージの多様性に改めて気づかされる ことでしょう。自由奔放な姿に思わず笑みがこぼれ、猫好きはもちろんのこと、そうでない 方 ←
浮世絵の美女と猫、猫の手を取り歩かせる美女、化け猫、招き猫など
歌舞伎の化け猫も人気演目ですね。先代猿之助で観ました。
中区栄国寺地内山田こうの招き猫を作る写真も興味深いです。
図録では永国寺とありますが博物館では栄国寺とあります。
ここでキリシタンの話が出てくるとは。
栄国寺(えいこくじ)は、愛知県名古屋市中区橘にある浄土宗の寺院。 ... 太平洋戦争中 1945年の名古屋爆撃の際、栄国寺周辺は、焼夷弾の被害がなかったという奇跡が伝え られている。1969年、切支丹遺跡博物館が境内に建てられる。1986年より、カトリック ...
尾張藩の初代藩主徳川義直、二代目の徳川光友は、徳川のキリシタン弾圧の時代においても、当初はキリシタンに寛容であったとされている[1]。寛永8年(1631年)より、藩内でキリシタン伝道に携わった者の処刑を始める。寛永21年(1644年)から、正保2年(1645年)にかけて名古屋城中からもキリシタンが捕らえられ処刑された。この地で処刑された彼らキリシタンを弔うため町岡新兵衛は、慶安2年(1649)この処刑地に石の供養塔を建立した。寛文元年(1661年)春以来数多くのキリシタンが藩内の諸村から検挙されると、尾張藩は、そのうち伝道に努めたと思われる男女二百余人だけを、寛文四年十二月十九日(1665年2月3日)千本松原刑場で処刑し、他のキリシタンの助命をはかった。しかし、幕府の命令により、結局捕縛させた二千人余のキリシタン全員を寛文7年(1668年)に、別の地にて処刑することとなった。このとき、尾張のキリシタンは、ほぼ絶滅したとされる[2]。
こうさんお作った大きなまね子猫の尻尾が何ともユーモラスで可愛い。
他にも招き猫ズラリ並んでます。
昔、西洋名画の肖像の顔だけ猫というのをデパートで鑑賞しましたがそれ以来笑える美術展。
豊田から来たと言うお嬢さんも博物館の庭で写真を撮っていました。