riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">むのたけじさん、大往生</span>





えっ!!むのさん死んじゃったの?また、大事な人が死んじゃった!!最後の戦争を知るジャーナリスト、日本のジャーナリズムの良心だった人が…哀しくて涙が出る。心から、ご冥福をお祈りします。
むのたけじさん死去 101歳
朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社。故郷の秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。反戦の立場から言論活動を続けた。
昭和おやじ 【打倒安倍政権】 @syouwaoyaji

むのたけじさん死去 101歳のジャーナリスト
朝日新聞2016年8月21日

「戦争絶滅」を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが21日、老衰の為、さいたま市次男宅で死去した。101歳だった。葬儀は未定。

朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社。故郷の秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。1978年に780号で休刊してからは、著作や講演活動を通じて平和への信念を貫き通した。

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101歳むのたけじさん、どうしても語っておきたい体験
朝日新聞2016年3月9日

■コラム「再思三考」
報道の自由」の問題で色々な人が色々な意見を述べているけれど、私もどうしても言っておかなければならないと思って体験談を話します。

太平洋戦争が1941年12月に始まりましたね。それからまもなく、私は従軍のために日本を発ち、翌年3月1日にジャワに上陸した。途中で立ち寄った台湾で、日本軍が作った「ジャワ軍政要綱」という一冊の本を見ました。入手方法は秘密ですが、日本がジャワをどのように統治するかというタイムスケジュールが細かく書かれていた。私がいたそれから半年間、ほぼその通りに事態は進んだ。

その要綱の奥付に「昭和15年5月印刷」の文字があった。ジャワ上陸より2年近く、太平洋戦争開戦より約1年半も前だったんです。つまり、国民が知らないうちに戦争は準備されていたという事です。

もしもこの事実を開戦前に知って報道したら、国民は大騒ぎをして戦争はしなかったかも知れない。そうなれば何百万人も死なせる悲劇を止める事が出来た。その代わりに新聞社は潰され、報道関係者は全員、国家に対する反逆者として銃殺されたでしょう。
国民を守った報道が国家からは大罪人とされる矛盾です。そこをどう捉えればいいのか。それが根本の問題でしょう。高市早苗総務相の「公平な放送」がされない場合は、電波を止めるという発言を聞いてそう思ったのです。公平とは何か。要綱を書く事は偏った報道になるのか。それを誰が決めるのか。

報道は、国家の為にある訳ではなく、生きている人間の為にあるんです。つまり、国民の知る権利に応え、真実はこうだぞと伝える訳だ。公平か否かを判断するのは、それを読んだり見たりした国民です。酷い報道があったら抗議をすればよい。総務大臣が決める事じゃないんだ。そんなのは言論弾圧なんだ。

報道機関は、自分達の後ろに国民がいる事をもう一度認識する事です。戦時中はその事を忘れておったな。いい新聞を作り、いい放送をすれば国民は応援してくれる。それを忘れて萎縮していた。
戦争中、憲兵隊などが直接報道機関に来て、目に見えるような圧迫を加えた訳ではないんです。報道機関自らが検閲部門を作り、ちょっとした軍部の動きをみて自己規制したんだ。今のニュースキャスター交代騒動を見ていて、私はそんな事を思い出した。報道機関側がここで屈しては国民への裏切りになります。

国境なき記者団」による報道の自由度ランキングが、安倍政権になってから世界61位まで下がった。誠に恥ずかしい事で、憂うべき事です。報道機関の踏ん張りどころです。

画像 写真家タカオカ邦彦


転載元: 情報収集中&放電中