riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">自民党ネットサポーターの書き込みで分かった事、オリンピックを開催する資格なんてそもそもないんです。</span>


ぜひこのブログ記事を読んでいただきたい。ここは自民党の「チーム世耕」が進化発展した「自民ネットサポーターズクラブ」の会員が主催する愛国サイトだ。ここに「知的障害者を生かしていて何の得があるのか?」とあり、殺人者を擁護している。

http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/440452137.html

もしこれが自民サポーターという人々に一般的なメンタリティーで、なおかつ日本でこれを支持する人々が相当数いるとするなら、いまの日本は確実に破滅に向かっている。衰退ではなく破滅である。

社会の民度の高さを見るには、社会的弱者の扱われ方を見るとよいと言われる。社会的弱者に鈍感な社会は民度が低い。

一方、社会というものはほっておいても存続できるというものではない。極端な格差、貧困、犯罪など社会のネガティブな側面をきちんとマネージできるかどうかに、社会の存続は依存している。そのマネージメントに失敗すると、格差、貧困、暴動、犯罪、戦争、革命の多発で確実に自滅する。ナチスドイツしかり、大日本帝国しかり、そしていまのアメリカしかりである。

また、弱肉強食と自由競争を最重視する市場原理の社会は、格差と貧困、犯罪の激増というものすごいマイナスを作り出しながら、もっとも効率のよいシステムの構築を目指す。しかし、最終的にマイナス面の管理に失敗し、社会不安の激増と紛争の激化から自滅する事例がほとんどだ。それは線香花火のようなものだ。市場原理だけでは、社会を維持することは不可能なのだ。

そして、社会の否定的な側面をきちんとマネージできるかどうかは、社会的弱者にどれだけ我々が敏感であるかにかかっている。なぜなら、敏感であれば、格差や貧困などの社会的矛盾に対しても敏感であり、それだけ矛盾が拡大してコントロールできなくなる前に対処可能だからだ。

この敏感さはとても重要なことである。なぜなら、我々はみな弱者としての側面を持っているからだ。もちろん、だれでも社会的弱者になる可能性はある。しかしそれ以上に、誰しも乗り越えられない弱い部分を抱えながら悩み生きているのが、人生の実相だ。もちろん、その意味では私も弱者である。

そうした、人間が持つ弱い部分に寛容な社会が安定していることは間違いない。社会矛盾の拡大に早期に対応し、きちんとマネージできる能力があるからだ。

もし、このブログのような見方がいまの安倍自民の基盤にあるとすれば、日本はもろ手を上げてナチス型や大日本帝国型の壮大な破滅に向かって驀進していることは間違いないだろう。

破滅する前に、弱さに対する感受性があるものたちは連帯し、ネットワークを形成し、このどうしようもない日本をなんとかしなければならない。


転載元: 情報収集中&放電中