riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">百合子さんの絵本</span>




再放送に気がついて良かった!

懐かしい加藤剛さんも佐佐木信綱役で観られました。

またしても愚かすぎる上層部の悪業

昭和16 年―
小野寺百合子(薬師丸ひろ子) は、陸軍武官としてストックホルムに駐在していた夫・信(香川照之) がいるスウェーデンに旅立った。到着したその日から、百合子は夫が入手した極秘情報を暗号化し日本の参謀本部に送る毎日を過ごす事となる。夫婦共同で諜報作業にあたり、機密を守るためだった。
外出の時には必ず見張りがつき、子供の命が危険にさらされる緊張の日々が続いた。百合子は母としての悲痛な気持ちを押し殺し電文を送った。そんなある日、信はヤルタ会談で交わされた連合国の密約の存在を知る。それは「ソ連ガ対日参戦ヲ決メタ」というもの。日本の敗戦を決定づける極秘情報だった。
百合子は、この情報を本国が受け取ればきっと和平に動くと信じ打電し続けた。しかし、小野寺夫婦の情報はついに活かされる事なく、原爆が投下され、日本は敗戦を迎える…。

戦後、百合子は『ムーミンパパの思い出』など児童文学の翻訳に携わる。一方、信は戦時中の事には堅く口を閉ざし、無念の思いで日々を過ごしていた。夫にかつての誇りを取り戻して欲しいと願う百合子は、自分たちはもう1度、過去と向き合うべきだと語る。信は、消えた電文の行方を探る決意をする。
戦争の最前線を生きた稀有な女性の姿を通して描く、夫婦の愛の物語。

【 作 】池端俊策
【原  案】岡部 伸「消えたヤルタ密約緊急電」
【音  楽】千住 明
【出  演】薬師丸ひろ子  香川照之
              イヴォ・ウッキヴィ  千葉哲也  利重剛  戸田昌宏  加藤剛
              小林勝也  山本龍二  菅田俊  三田村周三  小倉一郎  金田明夫  佐野史郎  吉田鋼太郎  ほか
  
硫黄島からの手紙」でも思いましたが軍人の中にも中国と戦争して更にアメリカと戦争するのは無理と言う考えもあったのに、聞く耳持たない中枢部、そのため満州置き去り孤児、女性、各地の大空襲、沖縄、広島、長崎の悲劇を止められなかった。

もう負けているのに「国体護持」と保身のみが大事。
誰も責任取らなかった!


百合子さんの家系も凄い。
東京生まれ。東京女子高等師範学校附属高等女学校専攻科(現・お茶の水女子大学附属中学校お茶の水女子大学附属高等学校)卒。第二次世界大戦中、公使館附武官だった夫とともにスウェーデンに滞在し、和平工作のための夫の情報活動を手伝い、暗号電文を作ったり、本国からの電文を解読したりした。60歳を過ぎてから、トーベ・ヤンソンアストリッド・リンドグレーンエレン・ケイなどスウェーデン語文学の翻訳に従事した。

エレン・ケイやムーミン、不思議の国のニルスを訳した方とは!
薬師丸ひろ子香川照之、落ち着いた演技で素晴らしい。

ひろ子さんの歌も好きです、あのアイドルからこのように進歩されて。

香川さんは南京の映画や「鬼が来た」にも御出演、歌舞伎も命がけです。

追記

その後の百合子さん

「終生変わらぬ友情」の出発点でもあった、という良き思い出もあります。それは、イワノフと信の友情です。ドラマでも描かれていたように、イワノフは表向きは信の武官室に雇われていたロシア人の事務員という事でしたが、実は、ポーランドの軍人で祖国がドイツに占領されたので、スウェーデンに逃げてきたのを、信が匿っていたのでした(本名はミハール・リビコフスキーと言いました。詳しくはブログ♯9に書いてあります。)

イワノフは小野寺に「ヤルタ会談」を伝えた
ヤルタ会談」と言う第一級の情報を打電し続けた武官と、握りつぶした(上へ報告しなかった)当時の作戦部。

.エレン・ケイと『子どもの世紀』
http://sugp.wakasato.jp/Material/Education/el/e04b1/class06/key.htm
 20世紀の扉が開こうとした1900年に,スウェーデンの女性教育者エレン・ケイ(1849-1926)が,『子どもの世紀』と題する著作を発表した。それはたちまちのうちに11カ国で翻訳され,国際的にも大きな反響をひきおこした。日本でも1906年に大村仁太郎によってドイツ語版が,1916年には原田実によって英語版に翻訳されて紹介された。
 ケイは,西欧先進諸国に成立・普及した近代国家づくりの一環としての公教育制度のあり方に反発し,学校教育が,むしろ子どもを精神的に殺害していると厳しい批判を加え,子どもの成長・発達を優先した学校改革の必要性を強調し,『子どもの世紀』の中でその可能性を示唆した。

  「子どもたちが入学のときもっていた知識欲や自発的行動力や観察能力は,修学年限が終わる頃には,普通は全く消えてしまって,しかも別のものになってもいないのである。…(中略)…いまの授業は,詰め込み主義で小間切れ式で抽象的である。これは教室の講義や盛り沢山な科目や形式主義のもたらした結果である。」

 彼女はそのような「結果」をもたらしている原因がさまざまな複合的なものであることを知っていたが,もっとも重要なことは諸国家が国家的利益,とりわけ軍国主義的政策のために教育を利用し,「権利としての教育」を侵害してきたことにあることを見抜いた。

 「わたしの夢みる学校は,国家が軍国主義の最大の犠牲になっている限り,実現する状態ではない。軍国主義が克服されたとき初めて,人々は長足の進歩を遂げ,最も高価な学校計画が最も安価につくことを理解するであろう。なぜなら,そのとき人々は,強い人間の脳と心は社会にとって最高の価値があることを理解しはじめるからである。」

 ケイは学校の改革は国家・社会の変革と密接に結びついていることを自覚していたが,両者の関係をマルクス主義者のように階級矛盾においてはとらえなかったし,社会的闘争への参加に変革への道を求めようともしなかった。教育改革の主体は実際に教育の仕事にたずさわる者の意識変革と実践にある,と考えたのである。 学校改革は部分的ではなく,根本的ないし全体的でなければならない,そのためには近代教育思想の最良の遺産を継承しなければならない,と説いた。

  「そうだ,人々は教育分野でノアの洪水を経験しなければなるまい。そのとき『箱舟』には,モンテーニューとルソーとペスタロツチとスペンサーと,新しい児童心理学の文献だけは積み込まれなければならない。後で乾いた土地に着いたとき,人間は学校を建てずに葡萄畑だけをつくるべきだ。葡萄畑での教師の任務は『葡萄の木を子どもの唇の高さに曲げること』である。」

エレン・ケイの事は忘れていましたが軍国主義が子供の力を奪うは納得です。