<span itemprop="headline">杉山千佐子さん死去101歳、民間戦傷者の救済を訴え</span>
杉山千佐子さん死去 101歳、民間戦傷者の救済を訴え
杉山千佐子さん |
研究補助員として名古屋大医学部に勤めていた一九四五(昭和二十)年三月、米軍の空襲で左目失明などの大けがをした。戦後、国は戦争で死傷した元軍人や軍属、その遺族らを援護したが、同じ境遇の民間人を除外。これを国民差別だとして、七二年に全国戦災傷害者連絡会を組織し、政府や国会に民間人救済の戦時災害援護法の制定を求める運動を始めた。法案は七三~八九年に計十四回、国会に提出されたが、成立しなかった。
18日に名古屋大空襲で左目を失った杉山千佐子さんが101歳で亡くなられました。
戦後30年近く過ぎたころ、旧軍人・軍属とその遺族らと同様に民間戦傷社にも補償を施す援護法制を求める運動を始めた方です。
「戦前、戦後と私はだまされてばっかり」
晩年は残った右目も視力を失った。
それでもあきらめなかった。
同じく多くの民間人が犠牲になった広島と長崎に毎夏足を運んだ。
「他人の痛みは、自分が沢山の痛みを感じて知るもの」
人とあらそわない平和な国にしてほしい。
これからも同じことを繰り返し訴えていく」
杉山さんは「法案を通すならまず『一番弱い国民を守る』と一条入れてください」と訴えた。
成立前日の昨年9月18日には
「怖いですね。国民そっちのけで自分たちの考えでつき進んでいく」と憤った。願いとは逆の方向で日本が進んでいるように思えてならなかった」と。
101歳まで闘った杉山さん、立派です。
アベは庶民の声等聞こうともしない。