<span itemprop="headline">京鹿子娘五人道成寺2つの劇評</span>
今年は付いてないのか、二回も入院、
玉三郎丈も生で観劇出来ませんでした。
二人椀久は仁左衛門との名コンビで観たので悔いはありません。
生で見たら驚愕するほど華やかでしょうね。
十二月大歌舞伎、第三部の目玉である「京鹿子娘五人道成寺」。
主役の白拍子花子を、玉三郎を筆頭に、若手の踊り名手である勘九郎、七之助、梅枝、児太郎の4人が、一人立ちと連れ舞でつないでいくのが見どころだ。通常版ではひとりで演じるところを、5人で踊るので、視覚的な迫力はもちろんのこと、踊り手それぞれの個性を楽しむこともできる、なんとも贅沢な演出だ。
しかも早変わりや小道具も多い演目なので、5人花子のどこを見ていたらいいか悩む~ (5人一気の早変わりは本当に見事です。)
主役の白拍子花子を、玉三郎を筆頭に、若手の踊り名手である勘九郎、七之助、梅枝、児太郎の4人が、一人立ちと連れ舞でつないでいくのが見どころだ。通常版ではひとりで演じるところを、5人で踊るので、視覚的な迫力はもちろんのこと、踊り手それぞれの個性を楽しむこともできる、なんとも贅沢な演出だ。
しかも早変わりや小道具も多い演目なので、5人花子のどこを見ていたらいいか悩む~ (5人一気の早変わりは本当に見事です。)
(前略)そこに思いがけぬ発見があった。常の玉三郎の「娘道成寺」が、若手4人の参加によって魅力を失うのではなく、輝きを増している。玉三郎は乱拍子、中啓の舞、「言わず語らぬ」の手踊り、くどきを1人で踊り、他の段でも連れ舞に加わる。若手も腕の立つ人がそろい、各自の個性はそれぞれ過去の名手の記憶を呼び起こし、全体として奥深い参照の森が形作られる。
玉三郎もまたその中で独自の輝きを帯び始める。
(2016年12月8日 朝日新聞夕刊より)
玉三郎もまたその中で独自の輝きを帯び始める。
(2016年12月8日 朝日新聞夕刊より)
でも中日新聞の評は…
大波小波 玉三郎の現在
2016/12/16 夕刊
『二人椀久』は、衣裳(いしょう)や小道具に玉三郎らしい美意識が溢(あふ)れているが、雰囲気作りが主体で、踊りを堪能させるという点では物足りない。『五人道成寺』は、もとより一人で踊り抜く曲をパートごとに分けたもので、絶品のクドキなど部分的な良さはあっても全体はレビュー感覚である。
一人の俳優としてはともかく、技芸を後世に伝承する人間国宝の仕事としては満足がゆかない。
東京の公演を取れば、今年の玉三郎が演じた古典の大役としては、九月の歌舞伎座の『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の定高(さだか)が挙げられよう。しかし、それも義太夫狂言の骨格ではなく、現代の個人の感性から役を表層的に解釈しているうらみがあり、人間国宝の演技にふさわしかったとは言い難い。
個人の感性によって現代的に歌舞伎を読み込むことは、決して悪くはない。だが、玉三郎の問題は、その解釈が戯曲全体の意味をとらえ直すまでに達しておらず、役者の個性の領域にとどまっていることだろう。
これからの舞台人生こそ、稀有(けう)な才能を真に開花させて歌舞伎に貢献してほしい。
(花子)
観ていないので何とも言えません。
せめて大阪か京都公演が有れば駆けつけるのに。
京都南座は改修中。