2013-07-28 <span itemprop="headline">宮崎駿さんの反戦哲学</span> 未分類 ◎改正憲法を変えるなどもってのほか - 宮崎駿・もう少し早く生まれていたら軍国少年になっていた 僕は1941年生まれですが、日本国憲法ができた時の記憶はないですね(編集部注:日本国憲法公布は1946年)。それよりも、子どもの頃は「本当に愚かな戦争をした」という実感がありました。実際、日本軍が中国大陸でひどいことをしたというのを自慢げに話す大人がいて、そういう話を間接的にではあっても何度も聞きました。同時に空襲でどれほどのひどいことになったかというのも聞きました。伝聞も含め、いろんなことを耳にしましたから、馬鹿なことをやった国に生まれてしまったと思って、本当に日本が嫌いになりました。 僕が4歳の時に戦争が終わってますから、6つ歳上の高畑勲監督や、3つ歳上の女房とは、戦後の経験がちょっと違いますね。ただ空襲は覚えていますし、自分の街がもえるのも見ています。負けたという屈辱感だけはありました。戦後、アメリカ人がいっぱい来て、それを取り囲んでみんなが見物している。でも僕はアメリカ人からチューインガムやチョコレートをもらうような恥ずかしいことはできない、そう思うような子どもでした。 今で言う、戦記物のようなものもずい分読みました。僕が子どもの頃に出された本には太平洋戦争について「ものすごく反省している」とか「本当はこうだった」みたいな話が多かったです。鉄砲を撃つ仕事だけではなく、たとえばレーダーにしても、どれほどいい加減なレーダーだったかということや、一生懸命努力したのに全部無駄になってしまったというようなことを、いろんな分野の人間たち、決してヒーローでない人間たちが書いたものが、ずい分出版されたのです。 景気のいい話なんて本当にありませんでした。軍艦が沈められた後に、乗員たちが漂流してどうやって助かったかなんていうような話も含め、子どもながらにも「実際情けない戦争だったんだ」という気分だけはとてもありました。後にロバート・ウェストールが書いた『〝機関銃要塞〞の少年たち』などを読んだ時に「あ、この人は俺の先輩だ」と思いました。主人公は戦時下の少年で、大人たちが「戦争、戦争」と言いながら、まじめに戦争をやってないことに腹を立てている。それが自分と周りの世界との境目を、見極めるきっかけになっているんです。ウェストールのほうが僕よりも年上かな(編注:1929年生まれ)。彼は63歳で死んじゃいましたが。 僕は彼の本を読んで、自分がどういう質を持っているかということに気づきました。僕は「自分の命よりももっと大事な大義があるんじゃないか」とか、「そのために死ぬんだ」と思って、そっちの方へ、ガーンと行ってしまうタイプの人間なんです。もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。さらにもっと早く生まれていれば、志願して、戦場で慌ててすぐに死んでしまうような人間です。あの当時は、本当の戦争というのは何か、がわかった時には死ぬ時だっていうような時代だったと思います。もしかしたら、幸か不幸か僕は目が悪かったので、特攻には志願できないので、宣伝の絵とかマンガなんかを描かされていたかもしれなかった。 父は戦時中飛行機の部品を作っていた そんな子ども時代の戦争の記憶ですが、世の中の様相が、いわゆる戦時下のような状態になるのは、昭和19年(1944年)以降、国全体がヒステリックになってからです。ただ、うちの親父は現実主義で、ニヒリストで「天下国家、俺は知らん」というような人物でしたから、親父の話だけを聞いてると、また全然違いました。 親父は関東大震災の時に、墨田区にあった陸軍被服廠跡という、人がいちばん死んだところを逃げ回って生き残った人間なんです。まだ9歳だったのに妹の手を引いて逃げたというのが自慢でした。戦時中は東京大空襲の翌日に、親戚の安否を尋ねて東京に入ってるんです。だから、二度の死屍累々を見ています。 戦争前、昭和の10年(1935年)とか、世界恐慌で不景気だったと言っているけど、実はその時期が映画の全盛期だったりもしたんです。要するに仕事があってお金を持っていれば、デフレだから楽しくやれたんです。「いや、もうあの頃はほんとよかったよ」と親父も言ってました、もちろん東京の一部分のことだったかもしれませんが。そんな親父が戦争について何と言ったと思いますか。「スターリンは日本の人民には罪はないと言った」それでおしまいです。僕は「親父にも戦争責任はあるはずだ」と言って、喧嘩しましたけど、親父はそんなものを背負う気は全然なかったようです。戦後もすぐアメリカ人と友人になって「家に遊びに来い」と言うような人でしたから。「アメリカのほうがずっといい。ソ連は嫌いだ」って言ってました。何でソ連が嫌いなんだと言ったのかは知らないけど、自由がないのが嫌だったのだと思います。本人は自由にやってましたから(笑)。・僕が日本を見直したのは、30代になってから 今、半藤一利さんの『昭和史』を読んでいるんですけど、もう辛くて。読めば読むほど日本はひどいことやってるわけですから。何でよその国に行ってそんな戦争をしたのかと思います。他の道はなかったのか、満州事変を起こさずに済んでいたら、何か変わったんだろうかと思います。日露戦争が終わった時に、日本は遼東半島についても「これはやっぱり中国のものですから返しますよ」と言わなきゃかけらいけなかったんです。そういう発想は日本の中に欠片もなかった。帝国主義の時代ですから世界にもなかったと思いますが。 中国の周りには、ソ連もいたけど、イギリスはいる、ちょっと離れりゃフランスもオランダもアメリカもいて、世界中が集まっていた。そういう歴史を人間が踏んできた、ということを抜きにして、日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい。「おまえは強盗だったんだよ」ということですから。満州に行った知人たちが、どういうことをやって、どういう風に威張りくさってたかという話もおふくろから随分聞きました。そういう話を聞く度に、本当に日本人はダメだと思いました。 そんなことで、大人になってからも、日本の歌は唄いたくなかったんです。それで「祖国の灯のために戦わん」とかのロシア民謡を唄いながら「そういう祖国があればいいのにな」と思っていました。じゃあ、ロシアがいいのかといえば、そうも思っていなかったんですが、僕はあまりにも自分の中に何もないので、「自分よりも大切なものが何かあるんじゃないか」と思っていたんです。 僕が日本を見直したのは、30代になって初めてヨーロッパへ行って帰って来た時です。ヨーロッパといっても、ほんの一部、スウェーデンをうろうろしただけですけれど、帰って来てみると、自分がどれだけこの島の植物や自然が好きかということがよくわかったんです。人がいなければ日本はものすごくきれいな島だと思った。日本の国や日の丸が好きになったのではなく、日本の風土というのは素晴らしいものだという認識を持つようになりました。貧乏であるとか、ゆとりがあるとかというのとは関係なしに、豊かな環境の中にいると思いました。明治神宮にすごい森があって、それが人間の作った森だということなどがわかってきた。そんな土地の力を持っている島にいるんだということが、実に緩やかに少しずつわかってきたんです。 これも半藤さんの受け売りですけれど、日本の近代の歴史は40年ごとに区切られる。1865年の開国から40年で日露戦争に勝った、巨大な借金を残して。その後、40年かかって軍閥政府が国を亡ぼした。そして、1945年から1985年ぐらいまでの40年間は、経済成長をやってうまくいったように見えた。バブルが弾けた後は、どうしていいかわからないまま没落していく年になっている。半藤さんの意見が正しければ、40年間失われるんだから、〝失われた20年〞どころじゃなくて、あと20年ぐらいは失われる(笑)。歴史ということで言えば、堀田善衞さんは「歴史は前にある。未来は背中にある」と言っている。だから、僕たちに見えるのは目の前にある昔のことだけです。日本の軍閥の歴史を見たくないのはわかります。だけど、日本という国で政治家をやるのであれば、そのぐらいのことについては教育を受け、自分で知ろうとしなかったら国際的に通用しないですよ。 ・これだけ嘘をついてきたんだから、つき続けたほうがいい 憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。本当にそう思います。法的には96条の条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つのかもしれないけれど、それは詐欺です。やってはいけないことです。国の将来を決定していくことですから、できるだけ多数の人間たちの意見を反映したものにしなきゃいけない。多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない。 それなのに今は、ちょっと本音を漏らして大騒ぎを起こすと、うやむやに誤魔化して「いや、そういう意味じゃないんだ」みたいなことを言っている。それを見るにつけ、政府のトップや政党のトップたちの歴史感覚のなさや定見のなさには、呆れるばかりです。考えの足りない人間が憲法なんかいじらないほうがいい。本当に勉強しないで、ちょこちょこっと考えて思いついたことや、耳に心地よいことしか言わない奴の話だけを聞いて方針を決めているんですから。それで国際的な舞台に出してみたら、総スカンを食って慌てて「村山談話を基本的には尊重する」みたいなことを言う、まったく。「基本的に」って何でしょうか。「おまえはそれを全否定してたんじゃないのか?」と思います。きっとアベノミクスも早晩ダメになりますから。 もちろん、憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。職業軍人なんて役人の大軍で本当にくだらなくなるんだから。今、自衛隊があちこちの災害に出動しているのを見ると、やっぱりこれはいいものだと思います。隊員たちはよくやっていて、礼儀正しい。イラクに行かざるを得なくなっても、一発も撃たず、ひとりも殺しもせず帰って来ました。僕は立派だったと思います。 とにかく、今までこれだけ嘘ついてきたんだから、つき続けたほうがいいと思ってます。整合性を求める人たちはそうすることで「戦前の日本は悪くなかった」と言いたいのかもしれないけれど、悪かったんですよ。それは認めなきゃダメです。慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。 転載元: 支離滅裂ですが、何か?