riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">多数決って本当に民主的? 問い直す漫画や評論相次ぐ 高津祐典2015年7月14日朝日新聞</span>



 「多数決」は民主的な決め方とされてきたが、その問題点をとらえ直そうとする漫画や評論の刊行が相次いでいる。折しも、安全保障関連法案は週内にも衆議院で採決される公算大だ。異なる意見を取り入れながら物事を決めるにはどうしたらいいのか。
 「主人公」は人間そっくりの女性アンドロイド。体にはカメラが埋め込まれ、オンライン中継されている。彼女の行動は、ネット上に集まった人たちの「多数決」が決めていく。
 雑誌「ビッグコミックスピリッツ」の漫画「デモクラティア」の設定だ。彼女を製作した技術者は言う。「動かしているのは、ネットを介して集められた“人類の英知”そのもの…だとすると…それは人間よりも人間的に正しい」
 作品が生まれたきっかけは、ネット世論が旧体制の崩壊につながった「アラブの春」だった。縁もゆかりもない数の力が世界を変えた。それを目の当たりにし、作者の間瀬元朗さんは「多数決」の問題を考えるようになったという。
 作中、多数決への不安がにじむ場面がある。ネット世論の決めたアンドロイドの行動が、人の死の遠因になってしまうのだ。「集団の熱狂は簡単に一線を越える。多数決が正しいと言い切っていいのか、という考えを投影しました」
 多数決こそ民主的な仕組みと考える人は多い。「選ばれた私の言うことが民意」と言う橋下徹大阪市長はその典型例だろう。
 慶応大学の坂井豊貴教授(社会的選択論)は、多数決の結果ばかりが重視される状況に危機感を募らせ、『多数決を疑う』(岩波新書)を4月に刊行した。「無邪気に多数決をありがたがるのは、ただの多数決主義。『私たち』をどうにか尊重しようとする民主主義とは違う」
 そもそも「民意」は選び方次第で変わる。
 例えば有権者21人がA、B、Cの政策のどれかに投票するとする。結果はA8票、B7票、C6票。多数決ならAが集団を代表する意見になる。
 だが、Aに投票しなかった全員が「Aだけは嫌だ」と考えていたとする。Aの否定派が13人と過半数なのに、採用されるのはAだ。全員から2番目に支持されても、1票にもならない。「だから多数決で勝つためには、万人に配慮してはいけない。誰かをたたいて対立構図を作った方がいい」
 日本政治が多数決主義に傾いた転機は2005年、小泉純一郎元首相の郵政解散にあると坂井教授は考える。党内野党の機能もある反対派を離党させ、郵政民営化にイエスかノーか極端な二者択一を迫った。「飲むのは水か、ウォッカか選べというようなものです。ビールやお茶がほしい人も、どちらかしか選ぶことができません」
 坂井教授が薦めるのは1位の候補者に3点、2位に2点、3位に1点を投じる選び方だ。広く点を集めることが有利になり、政治家は選挙で勝つためにより広い層に配慮せざるを得なくなる。「政治家が分断を生むわけでなく、制度に問題がある。選び方を変えれば、結果も政策も変わる」
 「多数者の少数者に対する絶対的支配などは存在しない」と説く純粋法学の創始者ハンス・ケルゼンの古典『民主主義の本質と価値』(岩波文庫)も今年、新訳された。なぜ多数決の議論が盛んなのか。ジャーナリストの鎌田慧さんは「多数派は正義だと押し切れなくなってきた」と話す。
 絶対王制や独裁など、少数が権力を握り、物事を決める時代が続いた。その反省から、戦後の教科書「あたらしい憲法のはなし」は説いた。「おおぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとの人は、このおおぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです」
 戦後教育を受けた鎌田さんも、民主主義は多数に従うものと思ってきたというが、近著『反国家のちから』(七つ森書館)で沖縄の米軍基地問題に触れた。
 日本には、へき地に危険を押しつける差別構造がある。その原因は、少数意見を最終的に排除するのはやむを得ない、という誤った民主主義観にあるのではないか、と。「かつてなく数による圧迫が強まっている。話し合いながら物事を決めた『寄り合い』のように、多数が短兵急に決めない方法もある。民主主義の根をとらえ直す時期にきている」(高津祐典)


転載元: 情報収集中&充電中