ハブのショー、アマミノクロウサギ、紬村
PCが完全に壊れ、写真もアップできないのでスマホ撮影で(;´д`)
新しいPCが着きました 昔は香嵐渓にもハブとマングースの闘いの看板が出てましたがそこは、温泉になり、温泉から病院へ変わりました。 沖縄でもハブとマングースのショーは法律上廃止、その後暫くして奄美でも行われなくなりました。 ハブを退治するためにマングース連れてきたが、マングースは奄美固有の🐰アマミノクロウサギをやってしまった(T-T) 有害外来種の導入させた学者の責任重い、ヤンバルクイナも絶滅危惧種に。 奄美のウサギは子供を土のなかにいれて隠す。 自然界ではハブとマングースは決闘などしない、これも人間の愚かしさですね。 名物おじさん?のハブのショー、 始めは白衣で登場、写真🆗‼だけど私も撮影してと😆💣✨ 動画もあるでしょう。 いくつかの箱やバケツのなかから次々蛇をだし、出番が済むと奥部屋に収納 一番前のお客さんは、蛇が飛んできたとのぞけりました。 最後に白衣からハブ捕獲のスタイルにかわり、その様子を再現 昔ハブの毒でやられた様子の写真、説明があります。 今ハブは捕獲すれば一匹3000円 20年前は五千円だった。 若い人たちが盛りあがりました。 最後に財布ないれる蛇皮いただきました。 以下は紬村の写真 |
ルリカケス、奄美自然観察の森、大浜海浜公園、マングローブ原生林
PCがほとんど壊れて、はてなブログにもログインできず御無沙汰しました。
25日早朝に奄美大島に飛びました。翌日の深夜に帰るツアーでした。
鹿児島、奄美間が就航されたので実現しました。
高山の人は前後泊必要ですが。
25日はあやまる岬、奄美パーク、田中一村美術館から奄美自然観察の森、西郷居跡、ソテツ原生林地、黒糖焼酎工場見学でした。
奄美自然観察の森
そてつ、イトバショウ群生地
薩摩藩によるそてつ地獄思いだします。
ルリカケスのギャアギャア鳴く声だけで姿は見えず(T-T)
今日、大島紬村で椎の実取りのルリカケスがいました。
ガイドさんはルリカケスは性格悪いと😆💣✨
ガイドさんはもうつくのが珍しく、その上エキゾチックなお顔に、話や歌が上手で感心しました。
逆光で鳥、上手く撮れません。
このルリカケスのために紬村の🅿🚗に粘ってるかたも。
ルリカケスは奄美しか生息しない美しい鳥、他にもそういう生物います。
山の様子もイトバショウやそてつで本土とは明らかに違います。
植物ファンが多い!
大浜海浜公園
ホテルではサンゴの箸置き
綺麗に洗ってハイターに浸けて虫対策、浸けすぎると、ボロボロになるから注意、これは重い
マングローブ原生林、太平洋と、川、満ち潮になると、この緑も海になります。
食べられる貝などさがしたそうですがハブに注意
昔はハブ五千円でしたが、今は3千円
立派な奄美高校、境界
奄美はキリスト教徒が多いとか。
相撲も盛ん、女相撲も、あの映画菊とギロチンに出てきました。
インパクトあった朝汐関は徳之島出身
当時米軍の占領下だったので密航して、本土へ。
田中一村終焉の地にシャチホコがある豪邸が~
上手なガイドさんが着いてラッキーです、今は3回目なかなかガイドさんも着かない‼
ドライバーは夫君!
マングローブ原生林にとべらの黄色の実が一杯、ヤギの好物、芳香で魔よけに玄関に飾る御宅もありますと。
飼ったヤギがつぶせなくて、野に放って、やぎが荒らして困ったそうです。
月桃の実ゲットした方も
今日は大浜海浜公園、マングローブ原生林、りゅうがく館、大島紬村、ハブのショー、バシャ山村、
カヌーはありません(T-T)
夜遅くセントレアへ、高山のかたは、前泊、後泊必要です。
大島紬村でルリカケスのペアが雛に椎の実運んでます。
念願の奄美大島、晴
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日本で2番目に大きい島です。
お天気が少ない奄美でこの晴、ラッキーです。 鬼界ヶ島も見えます、米軍が作ったゾウの檻、勿論生きたゾウではなく軍事施設 アンテナ! 入院して奄美ツアーキャンセルしたことがあります。やっと田中一村の才能が開花した奄美大島にこれました。 朝3時半に目が覚めました、遅れたら大変、真っ暗で満月見ながら、駅まで送ってもらいました。 鹿児島から奄美に就航したから、一泊でも弾丸ツアーではないそうです。 11月はスケジュールが立て込んで倒れるかと心配しましたが、昨日は疲れ出て7時から寝てしまいました。 奄美パークのランチ、生姜ごはん、デザートは豆腐の発酵食品、豆腐のヨーグルト、みきです。 骨付き豚肉は夜もつきました、ラフテー 鹿児島県なので沖縄とは違いますね、 奄美パーク 展望台から 360度絶景 一村美術館、写真で見るより、お洒落で感心しました。 軍鶏の鋭い目、チャボの可愛い親子は図録にもないから、目に焼き付けました。 一村が描いたアダンも普段は見られない植物です。 一村の道にはアダンや展望台あります。 |
天王寺動物園のピュ―マ、ハイラックス、ライオン、キリン
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11月17日の天王寺動物園、初めててんしばから入りました。
雰囲気が全然違いますね。↑は
今日はPCの調子がましで夫が外付けハードディスクを買ってきて写真を移動させました。今のPCが壊れ切ってからでは遅いので。
写真を移動してもらったのでPCも調子よくなりました。
新しいPCは中古ですがヤフオクでゲットしました、
いつまでもつか、前のは結構長年使いました。
天王寺は本州で初めて北極熊の小熊生育出来たのですね。
昔の動物園興味あります。
ここのコアラは外の高い所にいていつも顔がわかりません。
それでも好きにさせてるから好感持てます
東山動物園も外にコアラ舎ありますがそこにいたことがありません、顔が見えなくなるので文句が出るから?室内にいます、多分そういうことでしょう。
天王寺は将来コアラ飼育を止めるそうです。それもいいかも。
この動物園で初めてピューマ撮影出来ました。名古屋にはいません。
新生代第四紀更新世中期更新世(チバニアンもしくはイオニアン)に出現したと考えられる。北は北米大陸のロッキー山系最北端から南は南米大陸南端のパタゴニア平原までを平地から標高3,900mの高地まで、湿地の森林地帯から砂漠地帯までと非常に広い範囲の多様な環境に適応し生息している。今日の北アメリカでは、場所によって絶滅あるいは絶滅の危機に瀕しており、保護活動も行われている。 引用終わり
もうほとんど目も見えないそうですがちゃんと動いていて水飲み場にも行きます。
向こう側にもう1頭いました。
動物は目が見えなくなっても騒ぎませんね。達観しているのは偉い。
タンザニアのホテルのプールに沢山いたハイラックス。
ヨーロッパ風の快適なロッジ、ワイルドライフロッジ←プールの柵に収納されてるようなハイラックス
天王寺動物園ではこのように3匹くっついてました。
ファミリーなのか。
タンザニアでは1匹ずつ微妙な位置にいました(笑)
今回初めてハルカスちゃん、コウヤ君2頭一緒に観られました。
↑のほうのキリンを観ているメスライオン、ルナさん?
下にはガオウが寝ています。来るのが遅れました。
新大阪から前回と違うルートで遅くなりました。
サファリでいいですね。
これからは混合飼育です。
もなかさん?
お腹一杯
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「ザ・メイヤー特別市民」ソウル市長選挙
作品情報-Article https
お金・スキャンダル、凡そ予想は着きます。選挙はブレーンが鍵、選対本部長のクァク・ドウォンssi、
この人秘密のネタをどう使うつもりだったか、後の後釜狙い?弱みを握って恐喝? 選挙から離れて
殺人事件も絡み流れが変わった。広報担当のシム・ウンギョンssi、大人っぽくなった、役作りは成功。
誠実な彼女は告発するのかと思ったけど、最後は時計も証拠も渡して辞職する。どうなったかは解らない
処で終わっています。アクの強い役を推して演じるミンシクssi、老練の技ですね。
小菅旭山名誉園長とゾウ
今週の朝のBSは動物シリーズ、昨日は有名な白熊ピースと野生のマヌル猫
ピースは育児放棄され、飼育員さんと家族が育てました。排泄促すため、猫も子猫のお尻なめますが、そういうことも色々考えなければなりません。
極寒に暮らすマヌル猫、冬はモフモフですが夏は毛も夏毛で痩せています。
母猫は一人で子育て、一人前になるのは3割だったか、
東山動植物園のマヌル猫ハニーも育児放棄されましたが、ハニーは子育て出来るのか、それには飼育員さん次第かも。
今日は小菅さんがスマトラゾウの保護区を訪ね、飼育員と動物の信頼関係を探った。
一言でいえば、人間の愛が不可欠
暴力振るえば、何十年あとからでもゾウは人間に復讐する!
初回放送2010年
今でこそ、動物園でもゾウをトレーニングして麻酔も打てるようにしますが、小菅さんもビックリ
野生のゾウも初めてその時観たと。
男性はいくら好きでもなかなか現地にいけませんね。
私はラッキーなことにタンザニアでゾウの群れにも会いました。
日本の動物園はオスは気があらいから飼わないとか飼ってもオスメス一頭ずつ、これでは一度出産したメスは4年も乳飲ませるからオスの発情にこたえられない。
小菅さんは実際に交尾寸前のペニスにさわらせてもらった。
ゾウは群れで暮らしてるから日本の動物園のように一頭ずつ、話して飼うのは不自然、ゾウ同士こずきあったり、遊びながら成長するから。
小菅さん、確信犯のコゾウに足を踏まれたり😄
それでも楽しそうでした。
名古屋市の戦前の動物園動物
人物[編集]
1900年、京都の呉服商の家に生まれる。1923年に市立名古屋動物園に就職、1937年、同動物園が東山公園に移転した際に初代園長に就任した。周囲の反対を押し切って、日本初の無柵式の放飼場を設置した。また、開園当初はゾウが1頭しかいなかったために、木下サーカスのゾウ4頭を購入した。
1944年に入ると名古屋市も空襲を受け、治安維持を理由に大型獣に射殺命令が下るが、軍や警察を説得してマカニーとエルドの2頭のゾウと1頭のチンパンジーは生かしていた[1](ゾウは4頭いたが、キーコとアドンは寒さと栄養失調で戦中に死亡)。同様の理由で日本中のゾウが殺され、終戦後には日本にこの2頭のゾウしか生き残っていなかったため、とくに東京の子どもたちがゾウの寄贈を求めた。しかし北王は高齢の2頭の健康や絆の固さを理由にこれを拒む一方で、1949年には象列車を実現させた(象列車の経緯についてはその記事を参照のこと)。1963年秋に2頭のゾウが死ぬまで、毎晩必ずゾウに「ごくろうさん」と声をかけるなど、並々ならぬ愛情を注いでいた。
1951年には移動動物園や動物サーカス(ニコニコサーカス)を開始し、子どもたちに夢を与え続けるなどとくに名古屋市民の間では、上野動物園長の古賀忠道に匹敵するカリスマ性を誇った。1993年に93歳で死去。 引用終わり