続田中一村記念美術館、展望台
園内にある立派な展望台。
こちらでは観葉植物として販売されてるものが植えられています。
自然に生えている
今は奄美より暑苦しい名古屋ですから観葉植物も地植えにすると巨大になります
一村の映画「アダン」を見たときはアダンってでした。
一村の描くアダン
果実は直径 15 - 20cmほどでパイナップルに似た外見であり、パイナップルと同様に集合果である。個々の果実は倒卵形で、長さ 4 - 6cm、幅 3 - 5cm。内果皮は繊維質、外果皮は肉質[1]。若いうちは緑だが熟すと黄色くなり、甘い芳香を発する。
利用[編集]
沖縄では古くからその葉で筵やござ、座布団、草履を作るなどの利用があった。凧の糸にもアダンの繊維を撚った糸がもつれにくく適しているという。明治時代以降、加工技術の進歩に伴い、巻き煙草入れや手提げ鞄などが作られるようになったが、その後新たな素材の出現で衰えた。
葉を漂白して作られたアダン葉帽子は一時期にブームを起こし、国外にまで輸出されるほどの好評を得た。
人間の食べ物としては無理。
こんな観葉植物も母の好みでした。
動物園思い出します。
ユキヒョウなどにもこんな疑似岩を上げたい
すごい狭い岩場にもいます。
やはり皆さん、感動する一村の気迫、思い。
深夜に「チルドレン」放送します、お見逃しなく。
栗山民也演出、高畑淳子ら出演「チルドレン」がNHK BSで放送 - ステージナタリー
2018/11/29に公開済み
栗山民也演出、高畑淳子ら出演「チルドレン」がNHK BSで放送 - ステージナタリー
栗山民也演出「チルドレン」が、12月2日深夜にNHK BSプレミアムの「プレミアムステージ」で放送される。イギリスの若手女流作家ルーシー・カークウッドが脚本を手がけた「チルドレン」は、日本で起きた原発事故に触発されて書かれた作品。9月から10月にかけて上演された日本初演版では、栗山が演出を担当し、妻のヘイゼル役を高畑淳子、夫のロビン役を鶴見辰吾、女友達のローズ役を若村麻由美が演じた。なお「プレミアムステージ」の後半には、同じく栗山が演出を手がけた蒼井優出演「アンチゴーヌ」がアンコール放送される。 2018年12月2日(日)24:00~28:14「チルドレン」2018年12月2日(日)24:00~25:58作:ルーシー・カークウッド翻訳:小田島恒志演出:栗山民也出演:高畑淳子、鶴見辰吾、若村麻由美「アンチゴーヌ」2018年12月2日(日)25:58~28:14作:ジャン・アヌイ翻訳:岩切正一郎演出:栗山民也出演:蒼井優、生瀬勝久、梅沢昌代、伊勢佳世、佐藤誓、渋谷謙人、富岡晃一郎、高橋紀恵、塚瀬香名子
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Subscribe:https://www.youtube.com/channel/UCKHf...
栗山民也演出「チルドレン」が、12月2日深夜にNHK BSプレミアムの「プレミアムステージ」で放送される。イギリスの若手女流作家ルーシー・カークウッドが脚本を手がけた「チルドレン」は、日本で起きた原発事故に触発されて書かれた作品。9月から10月にかけて上演された日本初演版では、栗山が演出を担当し、妻のヘイゼル役を高畑淳子、夫のロビン役を鶴見辰吾、女友達のローズ役を若村麻由美が演じた。なお「プレミアムステージ」の後半には、同じく栗山が演出を手がけた蒼井優出演「アンチゴーヌ」がアンコール放送される。 2018年12月2日(日)24:00~28:14「チルドレン」2018年12月2日(日)24:00~25:58作:ルーシー・カークウッド翻訳:小田島恒志演出:栗山民也出演:高畑淳子、鶴見辰吾、若村麻由美「アンチゴーヌ」2018年12月2日(日)25:58~28:14作:ジャン・アヌイ翻訳:岩切正一郎演出:栗山民也出演:蒼井優、生瀬勝久、梅沢昌代、伊勢佳世、佐藤誓、渋谷謙人、富岡晃一郎、高橋紀恵、塚瀬香名子
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豊橋まで観に行きました。その時の感想はこちら
中村敦夫さんの一人舞台のほうがわかりやすいかも
やっと『星夜航行』を読む、小西行長のイメージも変わる
分厚い大作なので買えないで図書館でリクエストし、40人ぐらい待ちました。
下巻のほうが早く来てしまった!やっと上巻読み終わります。
飯嶋氏の本は3作品読みましたがいつも詳細な内容で恵まれない人が有能で真摯に生き延びていく内容で感動します。
家康の悲劇の小姓として仕えた甚五郎のことは全然知らなかったのです。
またちょっと漢方薬が出てきたり、意外にも大悪人秀吉が家康の子秀康を養子にもらい風呂に一緒に入り背中まで流して可愛がった話も。
家康も制裁や長男を殺し、権力者のどす暗い面を見せますが
秀吉はもっと始末が負えない
無謀な朝鮮、明、天竺侵略を企てた秀吉
反対する利休などのは切腹に追い込まれ秀吉とめる人もいなくなり。
もしかして認知
日本を二本と書いて平然としていた秀吉の様に今のソーリを思い起こします。
飯嶋氏がこの労作を書き始めたころは森本問題もなく…
秀吉時代の朝鮮だあけでなく、日本の庶民も挑発され他を耕す人もいなくなり戦場へ送られ塗炭の苦しみ
まだ家康は幕府を開き朝鮮通信使を復活させて平和外交しますが。
李 舜臣の活躍などは前に読みましたがこんな詳しい話は…
――甚五郎と行長は朝鮮役の最前線に送られ、違った道を歩みます。ふたりの道を分けたのは、何だったのでしょうか。
飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。
飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。
略
略
――文字通り、国を捨てて戦う日本兵も現れます。
飯嶋 そういう兵がいたことは徳富蘇峰の『近世日本国民史』で知りました。忘れもしない1992年、駒込の古書店に五十冊揃いで売りに出ていて、そのうちの「朝鮮役」の三冊だけ欲しくて売ってくれないかとお願いしたら、ダメだと言われ、手持ちがなく、駅前のATMでお金を下ろして購入した。あのとき、『近世日本国民史』に出会わず、五十冊揃いを買ってなかったら、見過ごしていたかもしれません。朝鮮の青史『 懲ヒ録(ちょうひろく) 』にもこの兵の奮闘が記されていました。
――甚五郎と行長は朝鮮役の最前線に送られ、違った道を歩みます。ふたりの道を分けたのは、何だったのでしょうか。
飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。
――『星夜航行』という書名は沢瀬甚五郎の歩みを象徴するように気高く、美しい言葉ですね。
飯嶋 人は思い通りに生きてはいけないものですが、三河を去った後も沢瀬甚五郎は自身の特殊な技量ゆえに悲惨な思いをし、悲劇に見舞われる。星は雨や曇りの日には見えませんが、常に変わらない位置にあり、一定の動きを示すように甚五郎もおそらく、いかなる状況下でも自分の良心に恥じず忠実であろうとし、人格を保ち、自分の行ってきたことに後ろめたさはなかったのではないでしょうか。だからこそ四半世紀を経て、重要な使命を託され、家康の前に堂々と姿を現したのではないか。そのことは駿府を驚嘆させ、その名を史書の片隅に残したのだろうと思いました。『星夜航行』を通して沢瀬甚五郎の航海とこの時代を追体験していただけたら幸いです。
飯嶋 そういう兵がいたことは徳富蘇峰の『近世日本国民史』で知りました。忘れもしない1992年、駒込の古書店に五十冊揃いで売りに出ていて、そのうちの「朝鮮役」の三冊だけ欲しくて売ってくれないかとお願いしたら、ダメだと言われ、手持ちがなく、駅前のATMでお金を下ろして購入した。あのとき、『近世日本国民史』に出会わず、五十冊揃いを買ってなかったら、見過ごしていたかもしれません。朝鮮の青史『 懲ヒ録(ちょうひろく) 』にもこの兵の奮闘が記されていました。
――甚五郎と行長は朝鮮役の最前線に送られ、違った道を歩みます。ふたりの道を分けたのは、何だったのでしょうか。
飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。
――『星夜航行』という書名は沢瀬甚五郎の歩みを象徴するように気高く、美しい言葉ですね。
飯嶋 人は思い通りに生きてはいけないものですが、三河を去った後も沢瀬甚五郎は自身の特殊な技量ゆえに悲惨な思いをし、悲劇に見舞われる。星は雨や曇りの日には見えませんが、常に変わらない位置にあり、一定の動きを示すように甚五郎もおそらく、いかなる状況下でも自分の良心に恥じず忠実であろうとし、人格を保ち、自分の行ってきたことに後ろめたさはなかったのではないでしょうか。だからこそ四半世紀を経て、重要な使命を託され、家康の前に堂々と姿を現したのではないか。そのことは駿府を驚嘆させ、その名を史書の片隅に残したのだろうと思いました。『星夜航行』を通して沢瀬甚五郎の航海とこの時代を追体験していただけたら幸いです。
(いいじま・かずいち 作家)
波 2018年7月号より
波 2018年7月号より
徳川家に取り立てられるも、罪なくして徳川家を追われた沢瀬甚五郎は堺、薩摩、博多、呂宋の地を転々とする。海外交易の隆盛、秀吉の天下統一の激動の時代の波に飲まれ、やがて朝鮮出兵の暴挙が甚五郎の身にも襲いかかる。史料の中に埋もれていた実在の人物を掘り起こし、刊行までに九年の歳月を費やした著者最高傑作の誕生。
【飯嶋和一『星夜航行』刊行記念特集】姜尚中/激動する現代のアジアをも見通す祈り
叙事詩的な小説でありながら、リリシズム(叙情詩的な趣)の香りのする小説に出逢うことは滅多にあるものではない。歴史小説というジャンルでその滅多にない体験をしたのは、経済小説の草分けと言われた城山三郎の『黄金の日日』くらいだろうか。そして本書を読み進みながら、頭を掠めたのは、『黄金の日日』のことだった。
『黄金の日日』は、日本史上で人気が高く、今でもヒーローとしてもてはやされている太閤(豊臣)秀吉を悪役として描き、後の身分制では最も卑しいクラスに位置付けられる商人を主人公に激動の近世日本の断面を描き出した点で出色の歴史小説である。
それが、叙事詩的な体裁を取りながらも、随所にリリカルな香りを発散させているのは、主人公やその周辺の人々の情念や息遣いが見事に造形化されているからである。
それは、何よりも主人公、沢瀬甚五郎によるところが大きい。史料に名を残す実在の人物でありながら、言うまでもなく、信長や秀吉、家康に較べたら、星屑のような輝きしか残さなかった人物かもしれない。
しかし、徳川家の「逆臣の遺児」として不遇の星のもとに生まれながら、戦国から天下統一、そして南蛮交易、「朝鮮出兵」(文禄・慶長の役)と続く波乱の時代を、三河から堺、九州、ルソン、朝鮮と、数奇な運命とともに生き抜いた主人公には、信長や秀吉、家康にはないものがある。それは、『黄金の日日』の主人公にも通じるリリシズムである。
戦国・安土桃山時代、さらに幕末と、叙事詩的な英雄譚や偉人伝には事欠かない。しかし、それらの多くが、どこかで人間の陰影、その喜びや悲しみの深さを描けていないように思えてならないのは、主人公にリリカルなものが欠けているからではないだろうか。
『黄金の日日』の呂宋助左衛門と『星夜航行』の沢瀬甚五郎に共通するのは、彼らがスターダストの中の一つに過ぎないことを心得ていることである。
その武士が、出奔し、流転の果てに秀吉の「朝鮮出兵」に巻き込まれ、戦(いくさ)の惨さを知っていく場面は圧巻である。主人公と同じくかつて徳川家に仕え、恩人である磯貝小左衛門の述懐は、胸を打つ。
「この戦乱で最も苦しんでいるのは、衆生、下々の民である。この朝鮮でも、日本でも、恐らく明国でも、最も厄災をこうむるのは、いずこによらず民草なのだ」
この世が地獄であっても、いつかは観世音菩薩があらゆる国土にその姿を現すことになる。この願いこそ、主人公が流転の果てに得たものである。
それは、激動する現代の東アジアをも見通す祈りでもある。主人公の甚五郎が、征夷大将軍になっていた家康に謁見するシーンは、その祈りがただの夢ではないことを暗示しているようで、深く心を揺さぶる。
『星夜航行』は、『黄金の日日』を受け継ぎながら、さらにそれを超える不朽の名作として読み継がれていくに違いない。
ホオジロカンムリヅル、ホッキョク熊、トラなど
田中一村記念館
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あやまる岬から奄美パークの一村記念館へ
田中一村記念美術館について田中一村記念美術館は、奄美の自然を描いた日本画家田中一村のコレクションを常設展示している美術館です。地元の素材をふんだんに使い、奄美の高倉をイメージした展示室には、一村の東京時代、千葉時代、奄美時代の作品約80点(年4回展示替え)が展示してあり、日本画家田中一村の画業に触れることができます。その他、館内の企画展示室では、奄美にちなんだ催しも開催しています。田中一村(たなか いっそん)日本画家明治41(1908)年、栃木県に生まれる。幼い頃から画才を発揮し、7歳の時、父の濔吉(号稲村、稲邨)より「米邨」の号を与えられる。大正15年東京美術学校入学後、わずか2か月余りで中退、その後南画家として活動する。第19回青龍展に「白い花」を出品入選するが、その後中央画壇とつながりをもつことはなかった。昭和33年50歳で単身奄美大島に移住。紬工場で染色工として働き、蓄えができたら絵を描くという生活を繰り返し、亜熱帯の植物や動物を描き続け、独特の世界をつくりあげた。絵描きとして清貧で孤高な生き方を通した一村は、昭和52(1977)年69歳でひっそりとだれにも看取られずにその生涯を閉じた。http://amamipark.com/wp-content/uploads/2013/12/18057144_512338962223404_1625817523390387927_n-150x150.jpghttp://amamipark.com/isson/
私がしっかり一村に魅せられたのは何でも鑑定団です
その時見たこともない綺麗な異国風の風景画に魅了されました。
その後、襖絵や地元のご夫婦の肖像画(一村には稀有な人物画、細密描写)も鑑定団に出されました。それがとても高額、中央が段位は無視された画家とは思えませんでした。
私は藤田嗣治や一村のような反骨、不遇とされるような画家が好きになります。
藤田は当時パリで大成功した画家なのに、日本では不当に低く評価されたり画家仲間に戦犯扱いされました。
ユーモア、反骨精神のあるかたでした。
パリ郊外の藤田のアトリエやランスのチャペルも見学でき幸せです。
どちらもバラが咲いていました。
ベルサイユからバスで行けると、ネットで見た藤田のアトリエ、
でもそんなの現地ではわからずタクシーで藤田やマリーアントワネットが好きだったジュイ布美術館見学を経てアトリエへ。
藤田の絵にはこの布が細密描写されてます。
骨董が大好きだった藤田、ビスクドールもコレクション、手芸裁縫、額つくりもお手の物。
記念館から見た奄美パーク
奥に展望台が見えます
ベンチは沖縄の作家作品。
一村もこんな立派な記念館ができて、お幸せ、地元も一村のおかげでよい発展ができます。
夏に佐川美術館で見た絵も戻っています。
軍鶏の鋭い目やチャボの親子のかわいい下絵は初めて見ました。
下絵は絵葉書にもなっていなくて残念。
佐川美術館で見た日傘はありませんでした。
混んでいた佐川とは違いゆったり鑑賞できます。
孤高の画家田中一村展←佐川美術館
美術館の周囲は一村が歩いた奄美のイメージ。
これはほかの画家が描いていないようですから。
切手になった風景画もあまりの美しさに驚きました。
音楽座の舞台、遠藤周作原作の「私が・捨てた・女」も衝撃的でした。
これ以上写真が載せられません、次回に。
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ルリカケスの写真が~鹿児島空港から奄美へ。
前のPCではシルエットしか出ませんでしたがウィンドウズ10では首の白い斑点が出てきました。
ルリカケスってどんな鳥?(写真&解説・浜田太)
前も10が使いにくくて7に戻したことがあるのですが。
夫がいろいろ苦労してくれました。感謝。
鹿児島は来たことがありませんでした。
つきこの岬のなだらかな地形が「あやにおられたてまりによく似ているところからいつのころから「アヤマル」と呼ばれるようになり地名になったといわれています。
謝罪の意ではありません。
左手に笠利埼、正面に太平洋、右手に土盛海岸
真下には家族で楽しめる公園、グランドゴルフ場が整備されてます。
に