<span itemprop="headline">米良美一 死が身近だった少年</span>
07・8月と9月に楽天でアップしたものです。
「もののけ姫」でブレークする直前、新聞で米良美一のCD「母の歌 日本歌曲集」のCMを見た。印象に残っていた。そのうち「もののけ姫」の歌声がしばしば流れてきた。本当に心地よくて好きな声だった。出るCDは次々ゲット、デビュー前の「マリアンナ」まで買い込み聴きまくった。
ドミニク・ヴィスやスラヴァら、他のカウンターテナーも聴いた。映画「カストラート」が話題になった。でも彼の声が一番好き。
数あるCDの中でもよく聴いたのは「ロマンス」
メンデルスゾーン、バッハ、ドヴォルザークの名曲はお勧め。
加藤周一の「さくら横丁」北原白秋の「日本の笛」の入った「うぐいす」
水色のワルツ、夜来香の入った「かれん」も毎日楽しんだ。
バッハの「ヨハネ受難曲」、同じカウンターテナーのヨッヘンコバルスキー、ソプラノのグルベローヴァとのコンサートにも出かけた。そのうち彼の美声が出なくなった。
声は繊細な楽器、無理もない。突然脚光あび、仕事は忙しくなる。
自分の声は強いとおもいこんでいたという。
子供の頃からの骨の難病もある。音大進学の為にご両親は大変だった。
美輪明宏の「よいとまけの歌」を歌うようになった。
そんな病やいじめの事で苦しんだことが新聞にも載った。
しばらく聴いてなかったが大事なCDを又、聴くことにする。
先週から3回にわたる新聞特集、米良美一の2回目、あんなに仲のよい親子が
18歳までの間、9年しか一緒に暮らせなかったとは。
簡単に骨が折れたり変形したりする原因不明の難病で小学校入学をこばまれ、
病棟と寄宿舎を備えた、養護学校で寝たきりになったことも。間段なく襲われる
四肢を引き裂く激痛、排泄物の世話される屈辱。
バロック音楽のマネジメントを長年、手がける武田浩之さんはコンクール予選
で彼を発見した時、衝撃に打ちのめされた。以来、「彼はただ一人だけ、僕が天
才と認める存在」
「旋律に宿されたた思念やイメージを、細部までことごとく浮き立たせ、悩ま
しく叩きつけてきた。彼が『血』と発声するのを聴くと、おびただしい鮮血が総
身を駆け抜けるのだ」コレだ私があんなに聞き惚れたのも無理はありませんね
。
しかし違和感を抱いたのは彼にアイドル志向のような願望があったことと武田
さんは言う。「私の中では『もののけ姫』で彼は終わった。その責任の一端は私
にある」と武田さんはいまだに悔やんでいる。哀しいけれどCD聴けば輝かしく
深い歌声は残っている。共演した大ソプラノ、エディタ・グルベローヴァや同じ
カウンターテナーとの舞台、バッハコレギュームジャパンの演奏会は忘れられな
い。
「カウンターテナーの秘密」というサイトを開いたらカウンターテナーは1時
間半も持たないそうだ。大変な技術がいる。ジェシー・ノーマンは気前良く何回
もアンコールに答えていておかしくなったのは私でもわかった。グルベローヴァ
はほんのお義理にしかアンコールに答えず、非常にデリケートなコロラトゥーラを、喉という楽器を大事にしているのがわかった。
50年だったが驚異の長期、大ソプラノだったミレッラ・フレーニはドミンゴとよく共演していた。パヴァロッテイとは幼馴染。オペラ歌手は大変な節制せねばならないし旅公演多く家族とも離れ離れでさみしいとか。
バッハの宗教音楽の権威
岡田孝先生いわく「言葉をささげる意識、祈り、昔の人がどういう気持ちで『
主よ。哀れみたまえ』といったか考えなさい」
そういえばマリア・カラスも1音1音ゆるぎなく歌えるよう勉強、勉強という
ようなことを言ってましたね。カラスは絶頂期が短かったけれど永遠のデーヴァ
。
黒柳徹子がマリア・カラスを演じた「マスタークラス」も、もう一度観たい。彼
女の芝居は歯切れが非常にいいのだ。
米良美一の歌のかけがえの無さは難病との闘いと深い関係があるのだろう。繊
細な声は多忙なスケジュールや中傷があってはとても持たないでしょう。