riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">「心と体の傷が癒えない」</span>


 今日は太王四神記小田実追悼番組について書きたかったが南京事件70年なので次回にします。



2007年12月02日の朝日朝刊より引用します。
<「心と体の傷が癒えない」南京事件70年で生存者ら証言

 「あの時の心と体の傷は決して癒えません」。旧日本軍による南京の市民らに対する殺害や暴行、略奪などがあったとされる日中戦争中の「南京事件」から、今月で70年。大阪市中央区で1日、この事件の生存者2人の証言を聞く集会が開かれた。2人のうち、初来日した南京市の張秀紅(ツァンシュウホン)さん(81)は何度も言葉を詰まらせながら、当時の体験や胸中を語った。

写真、声を詰まらせながら体験を語る張秀紅さん=1日午後2時40分、大阪市中央区

 「11歳の時、日本兵が自宅に来ました。私を守ろうとする祖父を銃剣で脅しました」。張さんは約80人の聴衆を前に、うつむきがちにゆっくりと体験を語り始めた。

 「無理やり隣の空き家に連れていかれ、服を脱がされました。両足を押し広げられ、痛さで気絶している間に、強○されました。気がついた時、下半身は血だらけでした。祖父が泣きながら抱きしめてくれました」(伏字にしなければエラーとなります)

 そう話し、張さんは大声を上げて泣いた。

 今でも腰や股関節が痛み、しゃがむことができないという。

 集会は96年から毎年続いており、今年は東京や名古屋、神戸など8都市で開かれる。主催する南京大虐殺60カ年全国連絡会の招きに、張さんは当初「日本に行ったら殺される」と固辞。半年間ほど迷った末に「真実を語りたい」と決意したという。

 男性生存者で南京市に住む伍正禧(ウツェンシ)さん(84)は「3人の日本兵が自宅に来て、兄といとこ、叔父の計5人を連れ去りました」と証言。大勢の死体が放置された沼や川を捜したが、行方不明のままという。その数日後には、若い女性を求めて自宅に押し入った日本兵に、目の前で祖父を刺殺された。

 3度目の来日。「南京事件を知らない若い人や、事実ではないと言い張る日本人もいる。私たち生存者がしっかり伝えたい」と語った。

 証言を聞いた大阪市平野区の教諭森口和美さん(55)は「生存者の生の声に言葉を失った。記憶にとどめ、語り続けないといけない」と話した。 >

 今日は南京事件から70周年。7年前、南京の東隣、常州市で日本語講師をされた71歳の方の投稿が「声」に載った。上記の証言を受けての投稿である。

「時には目を背けたくなる事実がある…私たち日本人は歴史の事実を正面から受け止めなければならない…72年の日中共同声明で『中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感しこれに対し深い反省』を表明した精神を、日本人全員が共通認識としなければならないのではないか。…歴史を克服し、真の日中国交発展と成熟を心底記祈念する。」

今年は「哀しみの南京」<a href="http://plaza.rakuten.co.jp/ribon5235/diary/200710090001/">も見ることが出来た。なかったことなどできるはずがない。恥の上塗りである。自分が、あるいは自分の子供がそういう哀しい思いしたら、と想像してほしい。

イラクの被害でも日米のニュースにはなかなか出てこないが同じように、罪のない子供たちが殺されている。誰しも殺す側にも殺される側にもなりたくないでしょう。

中村哲さんの活動には頭が下がるhttp://cream3.at.webry.info/200712/article_8.html