riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">花岡事件</span>


世界2008年1月号、野田正彰、「虜囚の記憶を贈る  第5回 人倫としての花岡蜂起」を読んだ。2月号の「虜囚の記憶を贈る  第6回 受難者を絶望させた和解」 は未読

花岡事件」の被害者で蜂起を指導して奇跡的に生き残り、40年後に鹿島との闘争を牽引した耿諄(コウジュン)氏からの聞き書きです。 

  本当に酷い話で、さらに恥の上塗りとしかしか思えません。
反対に耿諄氏の立派なことは今のお顔からも想像できます。

日本軍は国際公法に反し捕虜を奴隷化、農民を拉致・奴隷化しそれを隠蔽した。


第2次大戦末期の1945年6月30日、秋田県花岡鉱山の鹿島組の過酷な河川工事などの過酷な労働、虐待に抗して数百人の中国人が蜂起した――4万人の中国人が日本に強制連行され,7000人がなくなった。

ろくな食料与えず非道な強制労働だけではなく、朝鮮人から食料もらった、草を食べた、としてみんなの前で棒や鞭(牛のペニスを乾かした鞭)で執拗に殴る。しかも「鹿島の恥、シナ人の恥」など中国人とののしり、中国人捕虜同士を打たせる。耿諄氏は仲間を殴ってはいけないと厳命していた。怒った鹿島の職員たちは棒で殴った後、焼いた鉄板を腿に押し込んで仲間の肉が焼け、こげる臭いをかがせるというような病理的なサデイスムに陥った。花岡地域の住民も蜂起後の中国人を罵り殺したという。

これは今にも続いているように私も思う。野田さんは…日本の侵略に朝鮮、中国、アジアの人がいかに苦しんだかを理解せず、アメリカに従ってきた。「テロとの戦争」に参加し、アフガン、イラクパレスチナなどに生きる人々の絶望への想像力への想像力を欠いていると。


労工たちから耿諄さんは人間の尊厳を守るために蜂起を促された。耿諄さんは中国人を侮辱しなかった日本人職員を傷つけてはならないと決めた。

彼の人柄や裁判の経過はミンズの「尊厳  半世紀を歩いた花岡事件」に詳しい

花岡事件を検索してたどりついたブログです。
http://blog.goo.ne.jp/wakamatu1939/e/21c3728bf599eb53ea1d5cf85f9c72e8わたしが見た脱走中国人 - 初代不良家