riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">寺尾聡 「SONGS」</span>


竹内 まりやの「SONGS」を観て寺尾聡のこれをまだちゃんと見てなかったことに気がついた。放送から1年以上たっているとは、トホホです。

今で大好きで思い出すと運転中に聞きます。

寺尾の曲を聴くと都会的で、洗練されていて映像が目に浮かびロマンチックな気分になるんです。(=^_^;=)

ご自分でも景色が見えない曲は捨ててしまうと言ってました。

「1本の映画になるように」その通りなんです。だから好きなんでしょう。

寺尾SONGSには誰でも自分の人生にリンクする恋や別れ、にがい思い出があるのではないでしょうか。

空港や海外も登場し旅情を誘います。

ルビーがすごく売れたそうですが偶然にも誕生石はルビーなので大ヒットする前に持っていました。はやり物は親が買ってくれなかったので自分も関心か薄いです。友人が今年はこれが流行だからと教えてくれても馬の耳に念仏。でもこの曲たちは違います。

この大ヒットの後でしょうか、石原プロの刑事役から文芸物へ、みるみる演技派になられました。どうしてこんな良い役がくるんだろうなんて密かに思ってしまいました。女優さんは若さ、綺麗さばかり求められるのにちょっと不公平。ハリウッドの名女優でも年齢にあった役がないと嘆いてます。

演技は95パーセント以上父宇野重吉から生活の中から学んだそうです。

名優・宇野重吉の舞台、映画、テレビは印象深い。奈良岡朋子は宇野の厳しさを話している。

あのお気に入り映画「LOVE&PEACE パッチギ」に登場する紙芝居のおじさんは宇野重吉のことなんですね。このhttp://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id326745/rid1154/p0/s0/c0/映画レビューはくわしい。


「演歌のワルツはいいがポップスのワルツは売れませんよ」といわれたけれど「さすらい」は気持ちよく出来た、母のお茶を注ぐ様子からヒント受けたと、面白いですね。

窓から絶景の三浦半島の海が見える!

小泉今日子との対談は子供の時に可愛がってくれた大女優田中絹代所有だったお宅から。名女優として「サンダカン八番娼館」「西鶴一代女」「雨月物語」など忘れられません。監督もされました。

黒澤監督に言われた演技しすぎるなという話も興味深いですね。

父に似ていると言われいやだった若い頃、誰でもそうですね。偉大な父の話では寺尾さん、目が(T-T)

青字はウィキペディアWikipedia)より
黒澤明作品『乱』『夢』『まあだだよ』に続けて出演2001年、黒澤明の遺稿を映画化した『雨あがる』に主演し、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。日本レコード大賞日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を両方獲得しているのは寺尾1人だけである。また、2005年にも『半落ち』での演技で同賞の2度目の受賞を果たすなど、俳優として円熟期に入り、好評価を得ている。

ルビーの指環』を石原プロの小林専務は「こんなお経みたいな曲が売れる訳がない」と難色を示したが、石原裕次郎の「いいじゃないの」の一言で、レコード化が決定したという。


有川正沙子、松本隆の歌詞と寺尾さんの曲、歌唱がとてもよくあっていて都会的でおしゃれなので今聴いても古くないでしょう。

『ダイヤルM』『出航 SASURAI』『シャドー・シティ』、『出航 SASURAI』『予期せぬ出来事 』『二季物語 』『北ウィング』全部好きです。

以下も引用です
1981年にはヨコハマタイヤのCM曲だった『シャドー・シティ』に続き『ルビーの指環』は日本レコード大賞・FNS歌謡祭'81グランプリを受賞した。さらに、『ザ・ベストテン』では、『ルビーの指環』、『シャドー・シティ』、『出航 SASURAI』が3曲同時にベストテンにランクインされ、『ルビーの指環』12週連続1位の栄誉を讃えた真紅の記念シートも設置された。この、ベストテン12週連続1位の記録はのちに数多くの歌手がこの記録に挑んだが…

しかしヒットを受けて行われた翌年の全国ツアーの序盤、「貯金箱を壊してコンサートの切符を買いに来たのに、入場できなかった子供がいた」ということを聞き、激怒。これはツアーの開始前に、「今回は曲とアルバムのヒットでの、ファンに対するお礼を込めたツアーなので、マスコミ取材陣の席は無い」と約束していたが、入れないファンが大勢いたにもかかわらず取材陣用の席が多く余っていた事に対するものであった。ツアーに込めていた思いを踏みにじられた寺尾は、スタッフに対しての不信感を募らせ、以降の一切のマスコミ取材を拒否し、所属する石原プロはその対応に追われた。興行としてのコンサートという石原プロとの考え方の相違もあり…