riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">心理学者 原口鶴子の青春</span>


http://movie.blogmura.com/moviereview/



今年もあいち国際女性映画祭http://www.will.pref.aichi.jp/main03/main03.html が開催されています。

今までに出稼ぎの悲劇の「母と娘」、ボルネオの内戦を描いた映画、
無名の人http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/17984913.htmlなど優れた映画を見ました。

特に「無名の人」の石井筆子はこの映画で初めて知った女性。

筆子は明治初期にフランスに留学し、あの平塚雷鳥より早く男女平等論を展開、女子教育に携わった

このドキュメントは冒頭の吉永小百合の朗読
「男女の.....同等の権利を具備するものにして男子の為に女子あるにあらさるは猶女子の為に男子あらざるがごとし.....世の論者、女子に高等の教育を授くるは結婚を忌むの媒となる
」だから女の教育はある程度でやめるがいいというのは女子の心理を知らないもの
で涙、涙。

あとで常盤貴子の「筆子・その愛 天使のピアノ」

http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/17976870.htmlも見た。

今回の原口鶴子平塚雷鳥と同窓の人

あの時代、津田梅子、石井筆子、この鶴子と高等教育受けることの出来た女性の使命感には頭が下がります。

100年前、22歳で単身ニューヨークのコロンビア大学へ留学し、日本女性初の心理学博士号を取得するものの、志半ばの29歳でこの世を去った原口鶴子。先駆的女性の知られざる一生に光をあてた感動のドキュメンタリー。

心理学者 原口鶴子の青春~100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと~
/95分(Lコード:48305)

* 日本/2007年/95分
* 監督:泉悦子
* 配給:(有)テス企画
* 2007東京国際女性映画祭

富岡の豪農の娘として生まれた鶴子はとび級で1902年に日本女子大学校(現在の日本女子大学)英文予科二年に編入、1906年に英文学部を卒業。

1907年(明治40年)、鶴子は単身アメリカのニューヨークにあるコロンビア大学に留学し、ソーンダイクらのもとで心理学を学び、同大学院で心理学の博士号を日本人女性として初めて取得。学位は、1912年6月5日の卒業式で授与されましたが、同じ日に原口竹次郎との結婚式も行われた。

卒論は4桁の掛け算を暗算で10時間だったか、やらせ疲労を図るというものでした

ぽっちゃりしていた鶴子が結婚、出産後、綺麗になったと思ったらやはり結核

講演や執筆活動を行っていたが1915年(大正4年)9月28日に逝去。

わずか29歳で。妹もコロンビア大学に学んだが妹は90過ぎまで健在していた。

映画は彼女たちの今も残る実家の立派な屋敷(持ち主は変わっている)から始まるのだが監督は建築に興味があるのか、アメリカで鶴子が暮らした家にも言及。

でも皆さん、眠そう。ちょっとインパクトにかけるようだ。

「彼女が残した精神疲労の研究、国際性、自立の精神、新しい夫婦像は、その後、日本で起こった女権運動に影響を与えました。しかし志半ばの29歳という若さで他界したこともあり、いつしか忘れさられていきました。」