riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">13代目片岡仁左衛門人と芸の巻(中・下)</span>


http://movie.blogmura.com/

13代目片岡仁左衛門 人と芸の巻(中・下)を観た。
「若鮎の巻」「人と芸の巻」上はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/28206153.html

芸談語るのも地下鉄や電車に乗るのもお好き、奥様とウナギやどぜうを召し上がりに行く。こちらは早朝から2本続けての鑑賞で空腹でたまらない(笑)

こけら落としに舞う三番叟 のお稽古、踊りのお師匠さんから指導を熱心に受ける。

6代目菊五郎から受けた薫陶は大川橋蔵と同じで興味深い。

橋蔵は女形だったので裸で両足の間に紙をはさんで落とさないように踊るのだったと思う。レモンをかじらせて甘いと言うまで稽古させられたと。

仁左衛門も裸で背中に竹くくり付けて稽古させられたそうだ。
それを楽しげに話される。社交ダンスでも聞いたことがある。

ほめてもらうのでは、身に付かない、叱られてどなられてこそと。
褒め殺しというのもありますからね。

四谷怪談の話。ここから出ますよと言うようにスポットライト当てたらちっとも怖くない、暗がりにしてどこから出るかわからないようにして…お化けよりその芝居を受ける役者が上手くないとダメなど。

仁左衛門丈はお若い時よりダンディーで品があってとても立派な御顔。検索してみたら実父は安田善三郎、オノ・ヨーコの叔父!

1988年歌舞伎座百年記念公演「通し狂言菅原伝授手習鑑」。
緑内障で目が見えなくなってきていて舞台の階段上り下りして体に覚えさせたり階の幅を広くしてもらったり。この舞台の主人公菅丞相(菅原道真のちの天神様です)は二男秀太郎の苅屋姫との別れの場面は名場面。私は今仁左衛門玉三郎のコンビで録画鑑賞。お父様よりきれそうな菅丞相。この役をやるには精進潔斎すると聞いた。

梅幸さんの覚寿。母は梅幸を昔よく見たせいか贔屓していた。

「妹背山婦女庭訓」入鹿の公家悪、立派。

以下は青字はWikipediaよりの引用です。安田財閥の金が恒常的に流れてきたため、少なくとも財閥解体まではまったくお金に困らなかった。これが彼の芸に強い影響を及ぼしている[要出典]。性格的に屈折したところがなく、高貴な役どころがぴたりとはまった。由良之助役者としても知られたが、七段目では、豪遊ぶりがいかにも自然で、それはまさしく普段から自分の金で現実に豪遊しているからだという評があるほどである。実生活でもコセコセしたところがなく、どんな人に対しても人間のいやらしい部分、卑屈な部分を見せることがなかった。

略歴1966年、歌舞伎座で演じた『廓文章』(吉田屋)の伊左衛門が好劇家から高い評価を受け、それまでどちらかといえば独特な持味はあるものの、手堅いだけとされていた仁左衛門の演技に変化がおとずれる。仁左衛門の芸は、驚くべきことながら七十代の後半から八十代に至って飛躍的に深化し、一躍、名優の列に加えられることになった。最晩年の滋味あふれる品格高い演技を賞賛する者は今でも少なくない。




13代目自身は祇園などで遊ぶときは由良之助のようでは野暮、自分が三味線弾いて芸妓さんを楽しませなくては…
芸談ではアナウンサーだった下重暁子さんがちらり見えた。
本や資料一杯の部屋で番頭の伊藤友久さんの話。
十三代目はどんな役の時にも本を見たり、型を調べたり、研究熱心だった。
今の仁左衛門丈の話。優しいお父さんだったのに舞台のこたつの中で孝夫さんが子供の頃、本当に寝てしまってバシッと叩かれそれは怖かったと。
京都嵯峨の自宅で語る奥様も品のあるおばあちゃまという感じで涙ぐんで視力の変調に気がついた時のお話などされる。仁左衛門歌舞伎(これはマスコミがつけただけ)をするときは家屋敷を手ばなす覚悟であったなど

はじめての写真集が出来上がってきてももう見えず説明を受けていた。
この「風姿」の笑顔が素晴らしい。