riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">「禅 ZEN」</span>


http://movie.blogmura.com/moviereview/

「禅 ZEN」公式サイトhttp://www.zen.sh/

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり 

道元禅師を演じた中村勘太郎が清々しい。

正しい教え求めて歩いている場面だけでぐっときます。

お父さんの勘三郎について山登り?していたとき、礼儀正しく荷物も全部持っていたような。まじめな雰囲気がいいですね。
宇崎竜童の音楽もあっています。

最近歌舞伎俳優の映画を続けて観ていて煩悩だらけの私はまだ、朝1回だけ上映してるのを知り観ました。平日なのに観客がそこそこあってうれしいです。

先日は滝田栄さんがトーク番組で座禅を教えておられた。

映画は8歳の時、母伊子(高橋惠子、監督のお連れ合い)の臨終の場面で始まる。

母はそなたといるこの世が浄土だったが、人の苦しみを救う道を見つけてほしいと頼まれる。

鎌倉仏教があらわれるまでは、貴族、特権階級の為の仏教であった。
叡山の僧兵らは腐敗していた。

寺や仏像を建立したり難しいお経を読むことも出来ない庶民を救うためには、どうしたらよいのか。



あの世で浄土を求めずこの世こそ浄土でなければならない
浄土真宗ではこの世では救われないと。)

仏道の正師を求め、24歳で宋へ渡った道元。そこでも為政者にすり寄る仏教者がいたのだが笹野高史演じる大きな荷物背負う僧に出会うことが悟りへの道のきっかけとなる。



笹野高史はちょっとだけでも存在感のある役者、何といっても勘三郎のNY公演にもご出演ですから。映画観ると笹野高史岸部一徳白洲次郎のドラマでは近衛文麿役がぴったりです。

横道にそれましたがこのZENの映画、中国ロケに中国語での演技が見ものです。

如浄のもとで尻の肉が破れるまで座禅せよと言われ修行に励む。

悟りを表すのはやはり蓮の花。

帰国してからの叡山からの弾圧、遊女おりん、執権時頼のエピソードがあります。
映画最後の子供の雨の座禅の法界定印の衆生である左手を傘にした。

誰の中にも仏がいる。苦楽をともにしてくれる道元。ただひたすら座る。あるがまま。

あやしげな宗教に入れ込む前に親鸞道元を学んだらどうでしょうか。

釈迦は女性差別しないのにあらゆる面で女性差別


掃除をし賄いをする修行。女にはいつも逃れられない仕事。
村瀬明道尼の番組を思い出します。http://www.mbs.jp/portraits/portraits/2005/2005_2/m_murase.html
滋賀・大津市にある月心寺の住職、村瀬明道尼(84歳)毎日、夜が明ける前から作り始めるごま豆腐をはじめ、旬の野菜を使った料理の数々で“精進料理の明道尼”としても知られ、平成13年放送の連続テレビ小説「ほんまもん」の“庵主さん”のモデルになりました。かつて、日本料理店「吉兆」の創業者で文化功労賞受賞者・湯木貞一さんに、「男勝りな性格と、ごま豆腐は天下一」と評され、今でも、その料理を味わうために全国から多くの人々が月心寺を訪れています。
村瀬さんは、9歳で仏門に入り京都・岐阜・福井で修行を重ね37歳で月心寺の住職となります。しかし、お酒も飲めばたばこも吸い、好きな食べ物はステーキやトンカツ。さらに33歳のときには25歳も年上の男性に恋をするという尼僧にあるまじき心も抱きました。また、39歳のときに交通事故にあい九死に一生を得ましたが右手・右足が不自由になるなど波乱万丈の人生を歩んできました。


恋をするというより恋をしかけられたのです。

大怪我して初めてうどんを食べられるようになったときのうれしさ、人は右手・右足が不自由さを憐れむがそんなことより出来なかったことができるようになったときの高揚感。

映画最後の子供の雨の座禅の法界定印の衆生である左手を傘にしてさしかけるおりん。



おかげで井上ひさし蜷川幸雄演出の道元の冒険」、3時間録画も一気に観ることができました。

三国連太郎の「白い道」も観たいです。
中村錦之助親鸞の映画、最後に夫婦であさげを頂く時の幸せそうな様子が清らかに思えました。

子供の時、小田実「なんでも見てやろう」で知った禅でした。NYでゼンブッテストが急増のような。
以下はgoo映画より引用です。

鎌倉時代仏道の正師を求め、24歳で宋へ渡った道元。修行を積んで悟りを得た道元は、帰国して如浄禅師の教えを打ち立てることを決意する。周囲には次第に道元の教えに賛同するものが増えてくるが、それを妬んだ比叡山の僧兵の圧迫により、道元たちは越前へ移る。永平寺を建立して門徒たちの指導に励む道元のもとへ、ある日六波羅探題の義重が訪れた。時の執権・北条時頼を怨霊から救って欲しいというのだ。道元は求めに応じて、鎌倉へと向かう。