riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">玉三郎の本・昆劇・「ぢいさんばあさん」</span>


http://show.blogmura.com/

3月の坂東玉三郎は中国の伝統劇「昆劇」を江蘇省蘇州市で上演する。その前に3日、上海の日本総領事公邸で演目の一部を披露したそうだ。

昨年のあの夢のような舞台が思い出される。奇跡の歌唱。
時事ドットコムhttp://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009030300944
「男女の数奇な恋愛を描いた「牡丹亭」の主人公・杜麗娘。この日も、400年以上前の蘇州方言の歌を交え、夢の中で理想の男性と出会う女性を演じた。」

「牡丹亭」の拙ブログはこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/25069766.html

和楽の「坂東玉三郎 すべては舞台の美のために オリジナル押隈付き」が出る。

著者名:坂東玉三郎 写真/篠山紀信ほか
判型/頁:A4変/204頁
定価:2,700円(税込)
発売日:2009/03/31

坂東玉三郎丈の美へのこだわりを終結した、必見の一冊。
今、絶大の人気を誇る女形歌舞伎俳優・坂東玉三郎丈。これまで数年にわたって「和樂」で連載してきた連載や特集を、多くの玉三郎ファンのリクエストに応えて一冊にまとめました。坂東玉三郎自らが人気演目を例に舞台の美へのこだわりを書き綴った連載や、能楽観世流宗家ら各分野で活躍する五人と語り合った対談連載、玉三郎の化粧を記録した特集、京都案内、ボラボラ島での休暇に見せる素顔、舞台を通して語られる舞台関係者10人による美の証言などなど、見ごたえ、読みごたえのある一冊になりました。その内容の奥深さ&幅広さは、玉三郎ファン、歌舞伎ファンは勿論のこと、幕内(歌舞伎の舞台関係者)の間でも話題となっています。


玉三郎も尊敬する梅蘭芳の映画
花の生涯 梅蘭芳http://meilanfang.kadokawa-ent.jp/
も4月に公開される。

南座顔見世楽の仁左衛門玉三郎の「ぢいさんばあさん」は、簡単に感想を述べただけだった
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/27290994.html

号泣したいぐらいに響いてきた舞台。おしどり夫婦が37年も離れて暮らす羽目になるお芝居、二人の演技に人生の別れや切ない愛情が迫る。誰でも別れが来るので切実に感じるでしょう。

仁左衛門は若々しく年取ってからは可愛いお爺ちゃん。

玉三郎はちょっと老けすぎぐらいだけど短気な弟や夫に比べしっかり者で御殿勤めのキャリアウーマン。

「ディアフランキー」や昨日観たチェンジリングでもシングルマザーの立派なこと。

「海女のリャンさん」
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/28296014.html
はその上、夫まで養った。なんと母は強いこと。そうでなくては暮れなかったのだけど。

もうずいぶん前に生活保護打ち切られて飢死にした母子家庭があったが今の時代もっとひどそうで心配である。

話が飛んでしまったが
朝日に末延芳晴さんの「自衛隊派遣反対の断食リーダーの発起人」記事が載った。

その末延さんは「ぢいさんばあさん」の原作者森鴎外について書いている。

以下は引用です。
http://book.asahi.com/review/TKY200809230086.html

アサヒコム森鴎外と日清・日露戦争 [著]末延芳晴

[掲載]2008年9月21日

* [評者]南塚信吾法政大学教授

文学者は国家の悪にどう対峙するか

 日清・日露戦争の時代は、ヨーロッパでは「世紀末文化」の時代であった。その魅力は多くの人を引き付けている。だが、そのほとんどは「芸術のための芸術」を目指し、社会から「逃避」したものであった。ヨーロッパの「文化」が戦争と平和といった社会問題への対応の姿勢を「転換」したのは、ロマン・ロランに見られるように第1次世界大戦が契機であった。前線と銃後を区別しない「総力戦」が「転換」を余儀なくしたのである。

 では、この時代の日本の文化はどうであったのか。日本でも、一種の「世紀末文化」が花を咲かせており、夏目漱石森鴎外田山花袋永井荷風石川啄木など多彩な文学者が輩出していた。しかし、日本の場合、日清・日露戦争という大戦争が起きていて、ヨーロッパより先に、戦争と文学の関係が問われたといえる。

 著者は「直接的であれ間接的であれ、文学者は戦争に直面したとき、最も根源的に文学者たるゆえんを問われる」という。なぜなら「戦争は、無条件で個人に国家の意志に服従することを求めて」きて、そのために「個人が国家と対峙(たいじ)し、優越性を主張しようとすることで成り立つ文学の根底」が否定されかねないからである。この観点からすると、森鴎外は日清・日露戦争に軍医とはいえ指導的立場でかかわったことで、「文学者たるゆえんを、最もシビアーな形で問われた文学者であった」。

 本書は、この日清・日露戦争時における森鴎外の書いたテキストを、公的なものから私的な書簡にいたるまで広く読み込んで、鴎外の戦争への姿勢を分析したものである。結論的には、著者は、鴎外が、「戦争そのものの構造的『悪』と非人間的な現実を見据え、戦争と戦争を遂行する国家の『悪』を暴き、批判することを避けてしまった」という。しかし、本書の大部分を費やして分析されているこの時期の鴎外のテキストのなかで、私的な文章においては折にふれて、戦争を批判する「非戦」の声がわずかにせよ記されていることを著者自身が指摘している。

 たとえば、『うた日記』において、「石田治作」が敵将と対決したとき、敵将に銃を捨てさせて、しっかりと手を握らせたのは、無言のうちに「生」への意思を表明した敵将の「非戦」の呼びかけだと著者はいう。

 しかし、結局それは戦争の「悪」の批判にはならなかった。にもかかわらず著者は、そのような私的なテキストに、戦後の鴎外が文学者として立ち直る伏線を見ている。それゆえ、鴎外は1910年の「大逆事件」以来の厳しい言論下において、歴史小説と史伝において国家と戦争を相対化する文学者としての道を歩みえたのだという。

 こうした鴎外の「抵抗」にもかかわらず、一般的に言って日本の「世紀末文化」は、社会から「逃避」する道を歩むことになった。その後、第1次世界大戦で「漁夫の利」を得た日本では、「文化」が自己転換をするのは第2次世界大戦後を待たねばならなかったのだ。