riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">新聞小説「麗しき花実」など</span>




新聞小説は最初、逃すと読めずに終わるものがあります。
でも今回は最初から興味深い。

島田雅彦徒然王子 のあとは乙川優三郎作、江戸末期の女性蒔絵師がヒロインの「麗しき花実」。挿絵が中一弥、何と1911年生まれ

物語は今、弟子に自作を模写させたり、弟子の作品に自分の名を入れさせたりに冷たい風が吹く理野。




昨年の「大琳派展」でお目にかかれました。
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/26873303.html

芸術家、美術品が当然登場するしパイオニアの女性が主人公なので楽しみに読んでいます。

美の壺 http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20070427.html
でも羊遊斎の優美な櫛が紹介されました。</a>表裏でリンクしている櫛、見事です。

名都美術館櫛・こうがい展http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/17384184.html
や、ラリックなどアンテイークジュエリー展}}} も逃せません。
買えないけれど。

人が見たら蛙に化れ 村田 喜代子 、これは面白かったです。様々な骨董屋さんの裏話




挿絵も見ものだった吉田修一の小説「悪人」

公式サイトで挿絵がご覧になれます。
http://publications.asahi.com/akunin/

83年の加賀乙彦「湿原」 第13回大佛次郎賞受賞作。挿画は野田弘志。もう一度見たい、読みたい。

しまった、2007年に一時間電車に乗れば野田弘志 をやっていたのに。
釧路湿原にも未だ行けていないのですが。こういう水辺が大好きなのです。
画集も高価だったり入手困難だったり。ようやく中古の安いのを見つけました。

柳美里の「八月の果て」 これも挿絵が!

戦前のオリンピックマラソン金メダリスト「孫基禎柳美里の祖父の親友として登場し「すっすっはっはつ」という走者の息の音が印象的。むごい従軍慰安婦のシーンもありました。途中でやめさせられたのか、単行本になりましたが最後までよんでいません。

やはり絵が好きです。
以下は引用です。
 西国の蒔絵(まきえ)師の家に生まれた主人公の理(り)野(の)は、修業を志す兄の付き人として江戸に出てきた。故郷の窮屈な世間から解放されたのもつかの間、名工原(はら)羊遊斎(ようゆうさい)のもとで蒔絵師として修業に明け暮れる。

 羊遊斎をはじめ、江戸琳派の絵師酒井抱(ほう)一(いつ)、抱一の弟子の鈴木其(き)一(いつ) ら、伝統と創造のはざまで美を求める者たちの姿が丹念に描かれる。原工房の職人や、羊遊斎と抱一の愛妾(あいしょう)も、理野の人生にかかわってくる。抱一の「夏(なつ)秋(あき)草(くさ)図(ず)屏(びょう)風(ぶ)」など、歴史に残る名品の話も読みどころだ。

 「羊遊斎の挿(さし)櫛(ぐし)などを図録で見て、意匠や技法に心引かれたのがきっかけです。羊遊斎や弟子に関する文献はわずかですが、想像を広げて蒔絵工房の世界を再現します。抱一は日記として読めるような俳句をたくさん残していて、参考になりました」</font>

加賀乙彦「湿原」

野田弘志は 「1983年には朝日新聞連載小説・加賀乙彦作『湿原』の挿絵を手がけますが、その丹念に描かれた鉛筆画は、高い密度と完成度によって注目を集めます」

 新潮文庫の解説で秋山駿は概要次のように言う。
 『フランドルの冬』、『宣告』、『帰らざる夏』までは体験を核として花咲かせた。『錨のない船』は戦後文学における横光利一かと思わせ、その印象は『湿原』で決定的になった。
 『湿原』は、加賀乙彦が蓄積してきた社会的知識と人生的知恵の、全力量の発揮、一種の総決算である。だから多面的である。第一に、犯罪的人間の人生航路を描いたもので、文学の力による探求がある。第二に、冤罪の恐ろしさ 、裁判という社会の劇を描き、社会のからくりの奥深さを教えてわれわれの実生活に役立つ。第三に、現代的な、一つの純粋な恋愛小説で、読者は主人公と相手の女性との二人が幸福になってほしいと願うだろう。小説の魅力はそこにある。
 以上の大きな流れの底に、第一に、一人のヒーローの創造への野心がある。作者は、ヒーローの創造が現代においても可能か、という問いに挑戦している。
 加賀乙彦精神科医としての論文に犯罪者との人格的交流が見てとれる。しかし、加賀は、学問的追究に「あるのはただ個人であり、彼の状況」であって、それを強調すれば「哲学や文学や思弁の領域に足を踏み入れてしまう」と言う。加賀の論文の一行が『湿原』の主人公やその相手の女性の夢の記述に転じた。
 ニーチェは「あらゆる真理は曲線」だと言い、その曲線は犯罪のなかにもっとも露骨に現れているが、犯罪というジャンルを人間の心の探究の場として考えた日本の文学はほとんどない。加賀乙彦は新領土の開拓者である。
 第二に、裁判は事実や行為にどんな意味を与えるのかの、それぞれの人の社会的身分による語り口、話法(ディスクール)の闘争とか錯綜体として在ることを示す。
 第三に、犯罪者の男と病者の女の恋愛に、真の恋愛を見てとる。犯罪や病気の地下道を降りていくほどに、人の心が塩鉱のなかの結晶のように輝く。一つの価値逆転である。「人間はその弱点を通じて、傷つけば傷つくほど、無力になれば無力になるほど、あの名状しがたい『幸福』の近くへ往くことができる」