riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">井上ひさしの「ムサシ」</span>





WOWOWの追悼番組井上ひさしの「ムサシ」を鑑賞しました。
なぜ井上ひさし吉川英治の武蔵をやるのかと、疑問に思ったぐらいです。
前に録画した時は観ないで終わっていました。
武蔵でなくてムサシ、内容も現代劇ですね。
イラクなど果てしない戦争への抗議。

今回は井上さんの追悼でもありぴかちゅうさんの記事もしっかり読んで鑑賞。
井上ひさし×蜷川幸雄 
キャストには藤原竜也小栗旬鈴木杏辻萬長吉田鋼太郎白石加代子 の豪華な俳優陣!

 慶長十七年(一六一二)陰暦四月十三日正午。
豊前国小倉沖の舟島。真昼の太陽が照り付けるなか、宮本武蔵佐々木小次郎が、たがいにきびしく睨み合っている。小次郎は愛刀「物干し竿」を抜き放ち、武蔵は背に隠した木刀を深く構える。武蔵
が不意に声をあげる。「この勝負、おぬしの負けと決まった」。約束の刻限から半日近くも待たされた
小次郎の苛立ちは、すでに頂点に達していた。小次郎が動き、勝負は一撃で決まった。勝ったのは武蔵。検死役の藩医に「お手当を!」と叫び、疾風のごとく舟島を立ち去る武蔵。佐々木小次郎の「巌流」をとって、後に「巌流島の決闘」と呼ばれることになる世紀の大一番は、こうして一瞬のうちに終わり、そして……物語はここから始まる。
 舟島の決闘から六年後の、元和四年(一六一八)夏。
鎌倉は佐助ヶ谷、源氏山宝蓮寺。名もなき小さなこの寺で、いままさに寺開きの参籠禅がとり行われようとしていた。大徳寺の長老沢庵宗彭を導師に迎え、能狂いの柳生宗矩、寺の大檀那である木屋まいと筆屋乙女、そして寺の作事を務めたあの宮本武蔵も参加している。ところがそこへ、小次郎があらわれた。舟島でかろうじて一命をとりとめた小次郎は、武蔵憎しの一念で武蔵のゆくえを追いかけて、ここ宝蓮寺でついに宿敵をとらえたのだ。今度こそは「五分と五分」で決着をつけようと、小次郎は武蔵に「果し合い状」をつきつける。こうして、世に並ぶ者なき二大剣客、宮本武蔵佐々木小次郎の、命をかけた再対決が、「三日後の朝」と約束されるのだが……。(公演プログラムより)

宮本武蔵佐々木小次郎の巌流島の決闘からはじまる。
昔の映画ならもっとベテランの役だったような気がするが今回若い人気俳優、人気だけでなく若い人にアピールするためですね。


中越司の舞台装置、竹林と能舞台のようで、いいですね。

又決闘に突き進もうとする二人と足を結んで5人6脚!
剣術指南がタンゴになってしまい、こちらも踊りたくなる。大爆笑。


乙女は向こうからやってきた仇の腕を見事に斬りおとすが止めを刺さず、復讐はやめるという。寺に居合わせた5人がなんだかんだと二人の決闘を阻止しようとするエピソードが続く。
最後に元女猿楽士のまいが帝につながる高貴の方との間にもうけた子が小次郎だといい、お守りの手鏡の半分が合うので小次郎はショックで寝込んでしまう。高貴な血筋を理由に決闘をやめさせる決定打だ。
しかしながら武蔵は大きな企みに気づき、観客にも乙女の言葉に心の準備ができたところで、企みを暴き出すために武蔵は小次郎に言って決闘の真似を始めると大きく最終局面へと動き出す。

二人が6年前の死闘の決着をつけることをやめさせようとしたのは命を粗末にしたことによって成仏できなかった幽霊たち。人を殺す資格を持つ人間はいない。人間同士の殺し合いで不慮の無念の死をとげる不幸はこれまでもそして今も世界のあちこちにある。復讐は連鎖しやすいが、人間はその連鎖を断ちれるはず。そのためには死者たちの思いを踏まえて生きなければならない。そのためには庶民の血の通った歴史をきちんと後の世代に学んでもらうしくみを社会がもたなければならない。日本ではそれができているのか、それをつくろうとしているのかを問われているのだと思った。幽霊達に託した思いこそが井上ひさしの遺言だろう。

幽霊たちに
「生きてる時はどんなにつまらない日でも、どんなに辛い日でも~♪
なんでもない日がいとおしい」
などと言わせる。ぐっときます。

『ムサシ』-憎しみの連鎖を断ち切って」

終わりの二人が脚絆付けて旅立ちの支度するところがいいなと思ったら
これは蜷川さんの演出で井上さんも偉大だと感じたそうだ。

「何で急ぐんだよ、そこ、たっぷり、たっぷりやりなよ。
 みんな、おまえたち二人を観に来ているんだから」
とダメ出ししたそうです。

無言の五分間を、最高の見せ場にしてしまった、
蜷川さんはすごい演出家だ。
と井上さん大拍手です。

また、「あの場面はお客さんに支えられている。」
客はふたりがどうなるかを、始めからずっと見ていて、
「あの無言の五分間でふたりを理解していく。
 芝居は結局お客さんに支えられているものなのです。」
と井上さん。

小次郎がたすき掛けするのに手こずっているようでした。
昔、大川橋蔵が鮮やかにたすき掛けしていたのを思い出しました。