<span itemprop="headline">旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)</span>
今年一月に国立劇場で公演した旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ) が御園座に来ました。
テレビでちらっと菊 五 郎の宙乗りや真っ白な身体に赤いふんどしだけで寒いなか本水で大活躍する菊 之 助を見せてもらったのでスルーするつもりがぴかちゅうさんも週末にいらしゃるということで観てきました。
テレビでちらっと菊 五 郎の宙乗りや真っ白な身体に赤いふんどしだけで寒いなか本水で大活躍する菊 之 助を見せてもらったのでスルーするつもりがぴかちゅうさんも週末にいらしゃるということで観てきました。
9月、10月と忙しくぼやっとしていたら格安チケットは夜の部しか残ってなかったのです。これなら初めからぴかちゅうさんにチケットお願いしておけばよかったのに、馬鹿です。
どうも昼の部が人気らしい。やはり当地のお話ですし夜の早い名古屋ですから。
新聞観て当日券のある昨日駆けつけました。
名古屋開府記念で半額近いチケットも入手。まだ時間があるのでミリオン座でパンでも買おうかなと歩いていたら田 之 助さん らしき方が一人で東寿司の方に歩いて行かれました。
名古屋開府記念で半額近いチケットも入手。まだ時間があるのでミリオン座でパンでも買おうかなと歩いていたら田 之 助さん らしき方が一人で東寿司の方に歩いて行かれました。
舞台は華やかな宇治茶園茶摘みの場からはじまり奇想天外なお話の展開、ちょっとバカバカしいようなところが歌舞伎にはあります。盗賊が実は殿様だったり(笑)
歌舞伎は高尚と勘違いされてる方、(明治時代にそういうことになってしまい宙乗りも途絶えていたとか)歌舞伎は本来庶民から生まれ育ったものですからお気軽に。なんて私ごときが言うことではありませんが。
歌舞伎って役者がかっこよく見えるように作ってあるとこの舞台でつくずく感じました。
「通し狂言 旭輝黄金鯱」は、江戸時代に名古屋城の金鯱の鱗を大凧に乗って盗んだという伝説の大泥棒・柿木金助が主人公で、初世並木五瓶作「けいせい黄金乗c〔こがねのしゃちほこ〕」がです。
この「けいせい黄金乗c」は天明2(1784)年に初春狂言として初演され、翌年3月までのロングランをなるほどの大評判となったそうです。
この大ヒットで、柿木金助の名は一躍世間に広まったとのこと。
初世並木五瓶の原作では六幕二十三場という大作だったものを、今回の復活では四幕八場に再構成したそうです。
今回は二階席の上手で宙乗り小屋からはちょっと遠いのですが舞台全体が見渡せていい感じでした。
客席から舞台の上手まで斜めにワイヤーがのびています。
普通の宙乗りとは反対に下手から大凧に乗って2階から客席に向かって飛び、途中一階席すれすれまで一度降りて場内をわかせていました。
客席から舞台の上手まで斜めにワイヤーがのびています。
普通の宙乗りとは反対に下手から大凧に乗って2階から客席に向かって飛び、途中一階席すれすれまで一度降りて場内をわかせていました。
EXILE,チューチュートレイン♪
中国のあの千手観音、美人揃いですね。
立役の小田家家臣・鳴海春吉を演じている菊ちゃん。
本水で鯱と格闘する「鯱つかみ」これは凄い、やはり生の迫力。
まず結構大きな滝が現れ前にプール。ここで格闘、水しぶきも盛大そう、前から三列にビニールが配られています。ここは特別席。
まず結構大きな滝が現れ前にプール。ここで格闘、水しぶきも盛大そう、前から三列にビニールが配られています。ここは特別席。
菊之助は一月にはしょうが湯飲んでますと言っていたけど今回も寒くなってきたので毎日大変でしょう。
シブイ役の 時蔵 さんもいいですね。
那古野城内大書院の場には見慣れた虎の絵、名古屋城は惜しくも空襲で焼失。
旧国宝・名古屋城本丸御殿は、桂離宮古書院と同じ1615年に創建された近世武家文化を象徴する正統的な書院建築だったそうです。御殿再建には反対もありましたが。
旧国宝・名古屋城本丸御殿は、桂離宮古書院と同じ1615年に創建された近世武家文化を象徴する正統的な書院建築だったそうです。御殿再建には反対もありましたが。
名古屋城の金鯱 [編集]
2005年日本国際博覧会で公開された金鯱
天守屋根に載る現在の金鯱(2009年4月)
焼失前の金網に覆われた金鯱
1612年(慶長17年)名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用されたといわれている。高さは約2.74メートルあった。
しかし、鯱の鱗は、藩財政の悪化により、都合3回にわたって金板の改鋳を行って金純度を下げ続けた。そのため、最後には光沢が鈍ってしまい、これを隠すため金鯱の周りに金網を張り、カモフラージュした。この金網は、表向きは盗難防止(実際に何度か盗難にもあったこともある)や鳥避けのためとされ、戦災により焼失するまで取り付けられていた。1871年(明治4年)に政府に献納され、東京の宮内省に納められた。その後、雄鯱は国内の博覧会を巡り、雌鯱は1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会に出品された。金鯱が大天守に戻ったのは1879年(明治12年)2月である。
徳川の金鯱の中では最も長く現存していたが、1945年(昭和20年)に名古屋大空襲で焼失している。 焼夷弾で焼失した金鯱の残骸は、戦後GHQに接収され、のち大蔵省に移ったが、1967年(昭和42年)に名古屋市に返還された。名古屋市は残骸から金を取り出し、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して保存している。 現在のものは復元されたもので、復興天守建造のときに、日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師で大阪造幣局職員の手により復元製造された。一対に使用された金の重量は88kgである。
盗難事件 [編集]
金鯱の鱗の盗難事件は何度も発生している。江戸時代、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説がある。明治以降では3回発生し、犯人はいずれも盗んだ鱗を鋳潰し売却しようとして逮捕されている。ただし、3回目の事件のときは下賜記念事業中だったため、当時の名古屋市長が引責辞任する事態となった。
wikiより
お隣りの女性二人組も綺麗綺麗と盛り上がってました。
高校生の団体も二階中央陣取ってましたが前に閉口した短大性よりお行儀がよかったです。
高校生の団体も二階中央陣取ってましたが前に閉口した短大性よりお行儀がよかったです。
まだパンフレットも買っていないのでこの程度で又次回。
旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)
並木五瓶=作「けいせい黄金乗c」より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸課=補綴
通し狂言
旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)四幕八場
尾上菊五郎大凧宙乗りにて黄金の鯱盗り相勤め申し候
国立劇場美術係=美術
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸課=補綴
通し狂言
旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)四幕八場
尾上菊五郎大凧宙乗りにて黄金の鯱盗り相勤め申し候
国立劇場美術係=美術
序 幕(京) 宇治茶園茶摘みの場
宇治街道の場
二幕目(尾張) 那古野城内大書院の場
同 天守閣屋根上の場
三幕目(美濃) 笠縫里柿木金助隠家の場
大 詰(伊勢) 御師大黒戎太夫内の場
(尾張) 木曽川の場
鳴海潟の場
宇治街道の場
二幕目(尾張) 那古野城内大書院の場
同 天守閣屋根上の場
三幕目(美濃) 笠縫里柿木金助隠家の場
大 詰(伊勢) 御師大黒戎太夫内の場
(尾張) 木曽川の場
鳴海潟の場
(出演)
尾 上 菊 五 郎
中 村 時 蔵
尾 上 松 緑
尾 上 菊 之 助
坂 東 亀 三 郎
坂 東 亀 寿
尾 上 松 也
中 村 萬 太 郎
市 川 男 寅
尾 上 右 近
中 村 梅 枝
片 岡 亀 蔵
河原崎 権 十 郎
市 村 萬 次 郎
市 川 團 蔵
坂 東 彦 三 郎
澤 村 田 之 助 ほか
尾 上 菊 五 郎
中 村 時 蔵
尾 上 松 緑
尾 上 菊 之 助
坂 東 亀 三 郎
坂 東 亀 寿
尾 上 松 也
中 村 萬 太 郎
市 川 男 寅
尾 上 右 近
中 村 梅 枝
片 岡 亀 蔵
河原崎 権 十 郎
市 村 萬 次 郎
市 川 團 蔵
坂 東 彦 三 郎
澤 村 田 之 助 ほか