<span itemprop="headline">博多座の将門</span>
これは観たことがなかったので博多に行きたくなってしまったのです。
日本の公害と闘った田中正造も尊敬しています。
題は将門ですが主役は将門の娘。
将門が滅ぼされた後、蝦蟇の妖術を使う曲者が現れるという将門の古御所に大宅太郎光圀が忍び入る。
そこに花道のすっぽんから登場する滝夜叉 、あ、もう一度みたい、
京都の傾城如月と名乗り口説きにかかる。
京都の傾城如月と名乗り口説きにかかる。
光圀が将門の娘とであろうと詰め寄ると‥
古御所が崩れ落ちるさま、
立ち回りも派手で楽しく美しい。
立ち回りも派手で楽しく美しい。
歌舞伎から映画界へ移った大川橋蔵の殺陣も踊るようだといわれました。
橋蔵は早くなくなり残念だった方です。
後ろ盾があれば歌舞伎界で生きられたでしょうが。
六代目菊五郎の芸養子でしたが六代目がなくなり映画に活路を求めました。
ヨーヨーマ、ワイダ監督、ベジャールなど世界的な方々と仕事もされました。
これで玉三郎さんもちょっとお休みできますね。激務だったので心配でうs。
どこかでもう充分やった、消えたいなどといわれていたし、鷺娘や道成寺などはもう一ヶ月公演されないと言われています。
以下はWikiの平将門より
将門平安時代中期には中世、将門塚(平将門を葬った墳墓)の周辺で天変地異が頻繁に起こることがあり、これを将門の祟りと恐れた当時の民衆を静めるため、時宗の遊行僧・真教によって神と祀られ、1309年(延慶2年)には神田明神に合祀されることとなった。
神田明神は戦国時代の太田道灌・北条氏綱等の武将が武運祈願のため崇敬するところとなり、さらに関ヶ原の戦いの際には徳川家康戦勝祈祷を行った。このようなことから、江戸時代には江戸幕府により、平将門を祭る神田明神は江戸総鎮守として重視された。
また、将門の朝敵としての認識は江戸幕府三代将軍徳川家光の時代に、勅使として江戸に下向した大納言烏丸光広が幕府より将門の事績について聞かされ、「将門は朝敵に非ず」との奏上により除かれた。
滅ぼされたけれども長くたたられると恐れやれた人、カンダミュジ将門の評価は、古代の朝敵から、中世の崇敬対象へ、さらに明治時代の逆賊視、ついで戦後の英雄化と激しく揺れ動いた