riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">民都大阪の建築力とヴォーリズ</span>





汚染がれき、落ち葉、受け入れなんて!小出先生もおっしゃるように東電の社長室や東電の敷地に運んで!

日本中、汚染では食べ物もなくなります。

今でさえ汚染列島と見られているのに、

すでに中古車などもフクシマナンバーをはずし、売られているとか、

狂気の沙汰です。ヴォーリズが生きていたらなんと言うでしょうか。


大阪歴史博物館開館10周年記念民都大阪の建築力展に展示されていた旧鴻池本店ステンドグラス。

旧鴻池本店の内装は日本におけるアール・ヌーボーの最高傑作。

旧本宅は高村光雲の弟子・相良雲楽銘の欄間など優れた作品が残る。

1910年竣工 1914年改修

松坂屋本店南館(名古屋)にも華麗なステンドグラスが目立たないところに飾られています。





昨日の夕刊ニッポン  人・観脈・記 に私の尊敬するヴォーリズの記事が又出ました。

なんと 岡林信康さん のお父様はヴォーリズに心酔して牧師になり、信康さんはヴォーリズ近江兄弟社学園に通った。

しゃれた校舎に一学年22人だけ 、昨年見学した学校です。

近江兄弟社学園ハイド記念館
トイレのタイルがとても贅沢に使用されていています。

岡林は自宅の教会にきたヴォーリズをみている。

「清潔好きでトイレが綺麗かチェックする。ユーモアもあり、『バンザイなこっちゃ』とか変な日本語をよく使かった」

高校で県立に転じると環境の激変に戸惑い恨みがましく思いもした。

同じくヴォーリズ設計の神戸女学院の校舎をいかに守ったか の良い話が載っています。




ヴォーリズ心斎橋の大丸デパートも見学しました。豪華な天井のステンド、エレベータ、階段の装飾がいいですね。





9月に浄瑠璃寺に行った後、大阪に回って民都大阪の建築力展見学しました。

いくつも美術館展に行ったのですが全然UP出来てません。

この民都大阪の建築力には勿論ヴォーリズ設計心斎橋の大丸デパート
も紹介されていました。




今回中之島の図書館見学の後、付近のレトロ建築を見学しました。10月

大阪近辺の方、詳しい方、教えてください。芝川ビルはテレビでも紹介されていました。

せっかくの建物が電線で台無しですね。電線がなくなると見違えるほどすっきり広く、綺麗になります。


オーナー自らの手を修復や復元を試みた先例

入り口は花屋さん。チョコレート店、めがね店、喫茶店、パブ、アクセサリー、雑貨店、アンティーク時計店などがあります。

芝川ビルは、自家用の使用だけではまだ余裕があったため、教育に関心を持っていた又四郎の意向で「芝蘭社家政学園」という花嫁学校として使われることになります。「芝蘭社家政学園」では、又四郎の義妹の芝川まき(千島土地㈱、百又㈱ 現社長・芝川能一の祖母)が園長を務め、当時、帝塚山学院の学長であった庄野貞一(さだいち)氏を学監*に迎えて、洋裁、和裁、習字、生け花、茶道、割烹など多彩な授業を開講する私学として、自由な構想で教育が行われました。昭和4(1929)年の開校から昭和18(1943)年の閉校までに、関西一円の名門女学校を卒業した3,000人を超えるお嬢さんたち、いわゆる「いとはん」たちが学んだ「芝蘭社家政学園」は、現在の女子短大のはしりであった




高麗橋ビルディング「シェ・ワダ(旧大阪教育生命保険) 明治45(1912)年 高級フレンチレストランとして営業中




日本基督教団浪花教会建築年 昭和5(1930)年 「設計指導:ヴォーリズ建築事務所










大阪倶楽部大正13(1924)年

「関西の財界社交クラブの建物。古風をモットーとしている。ヨーロッパの建築様式に東洋風を取り入れた、大阪の近代三大名建築の一つですが、会員制の社交倶楽部のため、一般人は中に入ることが出来ないそうです。












ここにも猫が‥







大阪らしい、文楽人形!有名らしいお店で。

先日.テレビで 現代美術作家、杉本博司さんが手がけた文楽 『曾根崎心中』
を観ました。完全版が観たい、白洲正子
が所有していたという仏像と長い道だけで‥友人が生で見たかったと悔しがっていました。

観客・宮本亜門さんも絶賛

恋人を刃物であやめるなんて辛すぎますが、封建社会は酷い。

今の日本も民主主義が進まず酷いですが。


約300年の時を経て復活される序曲「観音廻り」では、当時の演出にならって桐竹勘十郎さんによる一人遣いの人形が登場、衣裳にはエルメスのスカーフを用いるなど、見所満載だ。







驚きの幼稚園大阪市立愛珠幼稚園
「建築年 明治34(1901)年
大阪市内のビジネス街にある木造建築の幼稚園である。なんでも空襲の火災を恐れて、昭和20(1945)年の8月4日に解体の予定だったが、連日の空襲で引越し作業が遅れて8月15日の終戦を迎えたために解体を免れた。築後100年をこえる今も実際に保育の場として使われている。


木造建築、貴重です、残ってよかった!