<span itemprop="headline">民都大阪の建築力とヴォーリズ</span>
日本中、汚染では食べ物もなくなります。
今でさえ汚染列島と見られているのに、
すでに中古車などもフクシマナンバーをはずし、売られているとか、
狂気の沙汰です。ヴォーリズが生きていたらなんと言うでしょうか。
大阪歴史博物館開館10周年記念民都大阪の建築力展に展示されていた旧鴻池本店ステンドグラス。
1910年竣工 1914年改修
松坂屋本店南館(名古屋)にも華麗なステンドグラスが目立たないところに飾られています。
昨日の夕刊ニッポン 人・観脈・記 に私の尊敬するヴォーリズの記事が又出ました。
しゃれた校舎に一学年22人だけ 、昨年見学した学校です。
岡林は自宅の教会にきたヴォーリズをみている。
「清潔好きでトイレが綺麗かチェックする。ユーモアもあり、『バンザイなこっちゃ』とか変な日本語をよく使かった」
高校で県立に転じると環境の激変に戸惑い恨みがましく思いもした。
いくつも美術館展に行ったのですが全然UP出来てません。
今回中之島の図書館見学の後、付近のレトロ建築を見学しました。10月
大阪近辺の方、詳しい方、教えてください。芝川ビルはテレビでも紹介されていました。
せっかくの建物が電線で台無しですね。電線がなくなると見違えるほどすっきり広く、綺麗になります。
オーナー自らの手を修復や復元を試みた先例
入り口は花屋さん。チョコレート店、めがね店、喫茶店、パブ、アクセサリー、雑貨店、アンティーク時計店などがあります。
芝川ビルは、自家用の使用だけではまだ余裕があったため、教育に関心を持っていた又四郎の意向で「芝蘭社家政学園」という花嫁学校として使われることになります。「芝蘭社家政学園」では、又四郎の義妹の芝川まき(千島土地㈱、百又㈱ 現社長・芝川能一の祖母)が園長を務め、当時、帝塚山学院の学長であった庄野貞一(さだいち)氏を学監*に迎えて、洋裁、和裁、習字、生け花、茶道、割烹など多彩な授業を開講する私学として、自由な構想で教育が行われました。昭和4(1929)年の開校から昭和18(1943)年の閉校までに、関西一円の名門女学校を卒業した3,000人を超えるお嬢さんたち、いわゆる「いとはん」たちが学んだ「芝蘭社家政学園」は、現在の女子短大のはしりであった
高麗橋ビルディング「シェ・ワダ(旧大阪教育生命保険) 明治45(1912)年 高級フレンチレストランとして営業中
大阪倶楽部大正13(1924)年
「関西の財界社交クラブの建物。古風をモットーとしている。ヨーロッパの建築様式に東洋風を取り入れた、大阪の近代三大名建築の一つですが、会員制の社交倶楽部のため、一般人は中に入ることが出来ないそうです。
大阪らしい、文楽人形!有名らしいお店で。
観客・宮本亜門さんも絶賛
恋人を刃物であやめるなんて辛すぎますが、封建社会は酷い。
今の日本も民主主義が進まず酷いですが。
驚きの幼稚園大阪市立愛珠幼稚園
「建築年 明治34(1901)年
大阪市内のビジネス街にある木造建築の幼稚園である。なんでも空襲の火災を恐れて、昭和20(1945)年の8月4日に解体の予定だったが、連日の空襲で引越し作業が遅れて8月15日の終戦を迎えたために解体を免れた。築後100年をこえる今も実際に保育の場として使われている。
木造建築、貴重です、残ってよかった!