<span itemprop="headline">京都の無 鄰菴</span>
以前は非公開で女性雑誌で見て以来行きたかった庭です。
いつから公開されるようになったのでしょう。
いつから公開されるようになったのでしょう。
敷地の大半を占める庭園(面積約3,135平方メートル)は,有朋自らの設計・監督により,造園家・小川治兵衛(おがわ じへえ)が作庭したもので,ゆるやかな傾斜地に,東山を借景とし,疏水の水をとり入れ,三段の滝,池,芝生を配した池泉廻遊式庭園です。
建物は,簡素な木造2階建の母屋,藪内流燕庵(えんなん)を模してつくられた茶室及び,煉瓦造2階建ての洋館の三つからなります。
洋館は明治31年の建立です。2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり,ここで明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋,政友会総裁・伊藤博文,総理大臣・桂太郎,外務大臣・小村寿太郎の4人によって,日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれています。
今日でも,この部屋には花鳥文様の格天井,椅子,テーブルなどの家具が残り,当時の趣を伝えています。