<span itemprop="headline">若松監督、新藤監督、丸谷才一、永山則夫、寺島しのぶ</span>
若松監督は
新藤兼人賞・SARVH賞2010の最優秀プロデューサー賞である「SARVH賞」を受賞した。授賞式で「尊敬する新藤監督とこのような形でお会いする事が出来て、本当にうれしい。これからも自分の映画を撮れるように頑張ります」と述べた。
寺島しのぶは、公式ホームページに「心優しい監督、弱い者の味方で、強いものにはくってかかる監督、(中略)何よりも映画を作り上げることに執念を燃やした監督。今いったい、いったいどこにいらっしゃるんですか?」と記した。
入院中に読んだ大野晋、丸谷才一対談「光る源氏の物語」 の面白かったこと。
「輝く日の宮」も好きです。
氏は原発も批判されていました。
新藤監督も尊敬していて拙ブログでは何回も取り上げ最後の映画も、勿観ました。
本来聡明だった(就職先ですぐ仕事を覚え責任あるポストについたこともある)
永山は獄中で勉学に励み作家となり被害者に印税を送っていた。
極貧のうちに母に捨てられ頼るのは姉だったが姉も妊娠7ヶ月だったかで堕胎させられ精神を病んだ。
母は永山が失踪した父に似ていると虐待したが、女の子のようにその可愛い目は母にそっくり。
母も非常に幼いときに親に捨てられていたという不幸の連鎖、
永山はまた兄からも虐待を受けていたとは、
幼いもの、弱いものにあたってしまう人間の弱さ。
精神科医石川義博はカセットテープ49本分100時間、278日にわたる丹念な聞き取りを成し遂げた。
しかし永山は
「他人のことが書かれているようだ」と否定した。
「他人のことが書かれているようだ」と否定した。
それは当時まだPTSDなる病名がなく、
「脳の脆弱性」
「脳波の異常」などとあったためらしい。
「脳波の異常」などとあったためらしい。
永山が独房で最期まで大事に手元に置き、熟読していたのがその精神鑑定書であったので石川医師は感無量の面持ちであった。
鑑定書は裁判では無視され、石川医師もこのような仕事は二度されなくなった。
永山は一度は無期懲役になったのに、その後の差し戻しで死刑判決、
私には厳罰化、見せしめのような死刑に思えた。
1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる…
永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる…
画像は名古屋栄ブロッサの南の高級花屋さんのアイアン門扉と上階のアンティーク屋さん
追記
日本は死刑執行に関する秘密主義と沈黙を他国では考えられないほど極端に貫くので
「ひそかに人を殺す国家として有名」雑誌世界10月号
アサハラを殺すということ デビット・T・ジョンソン P218