riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">京都の紅葉2脱帽の大河内山荘</span>


 
善峯寺、大原野神社、勝持寺(花の寺)を経て、初めての大河内山荘に向かいました。近所の友人が30年前に訪れた山荘、楽天ブログ友MYCAさんも絶賛
 
 
ナビに従うとなんと喧騒の嵐山を抜けることになってしまいました。
皆様もお馴染みの渡月橋。土・日は車不可ですがこの日は平日。
連れ合いがよく我慢して運転してくれたものです。
 
WOWOWで当選し泊まったこの橋の袂の旅館もすでにありません。
部屋にヒノキのお風呂があったり、温泉の下がガラスばりで鯉が泳いでいたり特色ある旅館でした。ひばり座は改装前に一度、オールゴール館も懐かしい。
 

 
 

竹林はいろんな言葉が飛び交い銀座なみ、近ずくのをためらいました。
 
 

 
 

 
沿革 [編集]
昭和9年(1931年)、傳次郎34歳のとき、当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追究するため自身で設計しこの庭の造営を始めた。映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと作り上げたものである。 場所は小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面、嵐山公園亀山公園)に挟まれた約2万平方メートルの荒地であったところに位置している。
 
文学者志望だった大河内は
時代劇の大スタアとして [編集]
1925年(昭和元年)、日活に移り、芸名も大河内傳次郎と改める。はじめ、背の低い大河内は監督たちが使いたがらず、経営陣は怪奇映画に起用しようかと思っていたという。
しかし、伊藤大輔監督に見出され、翌1926年『長恨』の主演に抜擢されて注目される。つづく1927年忠次旅日記』三部作で忠次役に主演、一躍人気を集める。
1928年(昭和3年)、当時売れっ子の大衆作家だった林不忘の小説が『新版大岡政談』として映画化。伊藤大輔監督はこの映画で、原作ではあまり重要人物でなかった殺し屋「丹下左膳」を前面に押し出し、大河内は大岡越前とこの丹下左膳の二役を演じて、アクの強い丹下のキャラクターは大評判となった。刀の鍔を口元に持ってきて見得を切る「丹下左膳」のキャラクターは大河内のシンボルとなり、生涯を通してこの「丹下左膳」の題名を持つ主演映画は17本を数えるに到った。
 
 

 
突然この中門、大乗閣が現れたときは感嘆しました。
イタリア英国庭園にもこういうサプライズがありました。
 
東の嵐山、遠くは比叡山、西の保津峡借景にした回遊式であり庭師広瀬利兵衛とともに造営を行った。
寝殿造、書院造、数寄屋造など日本の住宅の伝統的様式を合わせ取り入れた建物で傳次郎の構想に基づき数寄屋師の笛吹嘉一郎が施工した。
信仰の篤い傳次郎が座禅を行った所で山荘の初期の建物。
茶室

 
美味しいお抹茶と最中がつきます。 
 
反対側は京都市内が一望ですが向かいは大悲閣でしょうか、
小さく見えて素晴らしい眺めでした。

 
 

 
 

 
 
持仏堂から始まった山荘、庭園造営。