<span itemprop="headline">生きてりゃなんとかなる</span>
昨日の朝日新聞より
働き通しで5人の子供を育てた御両親。読書好きでも農協の出す雑誌を楽しんでいたお父さん。私も親戚の家で「家の光」など読みました。
安部さんが役所勤めを辞めて、小説家として身を立てようとした時も
「とにかく生きてりゃなんとかなる」戦地を経験していたからか、そんな言葉をかけてくれたという。
一度だけ出征時の写真を見せられた、「南京で日本軍の爪痕を観た。ああいう状況では正常に人間ではいられなくなる。でないと生き延びられん」
南京の中山門の前で、銃を持って立つ軍曹の父の写真を初めてみました。
胸が痛みました。どれほどの修羅場を生き抜いてきたことか。
歴史を素材として人間を描き切りたかった。父は82歳で亡くなりましたが読めば褒めてくれたと思う。一番書きたかったことにようやく辿りついた」と。
これで私は南京事件のことを思い出しました。
なかったことにしたいのでしょうが当時の世界の人は知っていました。
内地の日本人は南京陥落の時ちょうちん行列で御祝いし、自分の夫や兄弟、子供が食料も休暇もなく戦地に送られ中国で犯した行為を知りませんでした。
以下は南京事件を演劇にされた方の体験です。
自分たち家族は何か大きな罪を背負っているという意識のまま大人になった。幸せになれない。戦争から帰った父は粗暴となり家族にも辛くあたった。世間は戦犯と冷たかった。母はよく父から暴力を受けていた。夜中によくうなされていた父。戦地から隠し持ちかえった日本刀を箪笥に隠していた。
戦地からいち早く帰国。中国人を殺害し部下を見捨てると言う二重の罪。
母はうつ病になり、渡辺さんの妻、量子さんに自らの血で息子は「自分のもの」と書いてよこした。量子さんがその手紙をくずかごに捨てると夫が暴力をふるった。暴力の連鎖だ。母は夫の1周忌に首吊り自殺をする。
渡辺さんは嫌がる妻と中国東北部へ。
長江の虐殺現場で手を合わせた瞬間、ハチ割れるような頭痛に襲われ「南京大虐殺」と向き合わねばと思った。
戦地からいち早く帰国。中国人を殺害し部下を見捨てると言う二重の罪。
母はうつ病になり、渡辺さんの妻、量子さんに自らの血で息子は「自分のもの」と書いてよこした。量子さんがその手紙をくずかごに捨てると夫が暴力をふるった。暴力の連鎖だ。母は夫の1周忌に首吊り自殺をする。
渡辺さんは嫌がる妻と中国東北部へ。
長江の虐殺現場で手を合わせた瞬間、ハチ割れるような頭痛に襲われ「南京大虐殺」と向き合わねばと思った。