riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">爆笑シネマ歌舞伎らくだ</span>


 
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私は落語について無知ですが、演者にとって難解な話なんですね。
これをシネマ歌舞伎で観てきました。
 
タイトルロールはすでに死人、大家に酒肴をたかるために死者にカンカンノウを躍らせるぞとゆする遊び人、
 
遊び人に使われる紙屑買い、その立場が~
 
一日二回昼間だけの上映で1週間しか公開しないためか、もう前から2番目の席しかありませんでした。
 
夜の上映もないし、これでは若い人は鑑賞できませんね。
 
玉三郎が歌舞伎観に来てほしいからと海老蔵や門之助のブログに写真で登場。楽屋での笑顔の写真♪
 
8代目三津五郎はフグで亡くなったのは有名な話
以下はWikiより引用 
八代坂東目三津五郎は美食家としても有名で、生前、後輩に「役者はどの店に行けば、どんな美味いものがあるかということも知っていなくちゃいけない」と言い、札幌ラーメンを食べて感激したことも残っている。
ふぐ中毒は、京都市の割烹「政」で、危険を承知の上で毒性の高い肝を四人前も食べている。
当時はまだフグ中毒事件を起こした調理師に刑事裁判で有罪判決が下ることは稀だったが、京都市の割烹「政」の調理師に、一審で禁固8月、執行猶予2年。1979大阪高等裁判所控訴審では、瓦谷末雄裁判長は減刑の理由について、毒性が強いトラフグの肝を禁止されているにも関わらず客に出した責任は重いが、一審判決は被害者の名声ゆえに厳しすぎるとし、肝は美味で被害者も好んで食べたことや、公演後の疲労による身体的不調も考えられることも考慮すべき点もあると述べ、禁固4月、執行猶予2年の判決を受けた。引用終わり
 
屑屋の勘三郎と遊び人三津五郎の掛け合いで大笑い。
 
カツラと地肌の境目がばればれというレビューもありますがそれを忘れるくらい笑えます。
 
あまりにも綺麗な映像なのできったない長屋と大家の綺麗な家との対比もおかしい。この時代箪笥がある家はお金持ちだそうです。
 
 
 「その筋では(踊)家元と呼ばれてる~」と半次
三津五郎さんは家元。
病気のある人間には笑いが一番
 
この作品、テレビで前に観た記憶ありますが配役は覚えていません。
 
 
 
小柄な家主と反対に大きな坂東 彌十郎が女房役で玄関に転げ落ち
勘三郎も笑いが止まらない、アクシデントですか。
 以下はヤフー映画より引用
作:岡鬼太郎
改訂・演出:榎本滋民
傑作古典落語が題材の『らくだ』。2008年8月、勘三郎の久六と三津五郎の半次のコンビで、歌舞伎座を笑いの渦にした舞台が、早くもシネマ歌舞伎に登場!
フグに当たって頓死した通称“らくだ”の馬太郎。仲間の半次は、弔いの金を用立てようと、紙屑買いの久六に声を掛けるが、らくだの家には売るものは何も無い ――。困った半次は久六を家主のもとに使いに出し、通夜の酒肴を出さないと、死人を担いでカンカンノウを躍らせるぞと脅す。ところが家主は、らくだが死んだとあれば祝いたいと言い、その上死人のカンカンノウは見たことがないので初物を見たいものだと言いだす始末。これを聞いた半次はらくだの馬太郎の遺体を引き起こし、嫌がる久六に負ぶわせて、ふたりで家主のもとへ向かう……。
※「カンカンノウ」は、中国清朝時代の音楽「清楽」が元歌で、長崎の出島から伝来したらしい。「看看嚇送奴個九連環」といった歌詞で、九連環とは知恵の輪。「見ておくれ、私がもらった九連環。どなたか解いてくださいな」が大意。唐人踊りと称し太鼓などの伴奏で踊るのが十九世紀前半の江戸、大阪で流行した。

『らくだ』配役

  • 紙屑買久六:中村 勘三郎
  • 家主女房おいく:坂東 彌十郎
  • 駱駝の馬太郎:片岡 亀蔵
  • 半次妹おやす:尾上 松也
  • 家主左兵衛:片岡 市蔵
  • 手斧目半次:坂東 三津五郎
※「カンカンノウ」は、中国清朝時代の音楽「清楽」が元歌で、長崎の出島から伝来したらしい。「看看嚇送奴個九連環」といった歌詞で、九連環とは知恵の輪。「見ておくれ、私がもらった九連環。どなたか解いてくださいな」が大意。唐人踊りと称し太鼓などの伴奏で踊るのが十九世紀前半の江戸、大阪で流行した。
らくだ』は、古典落語の演目。上方落語の演目の1つである。人物の出入りが多い上に、酔っ払いの芝居が入るなど演者にとって難解な話で、よく「真打の大ネタ」と称される。題名は、主人公のあだ名を表すが(上方では「らくだの卯之助」、東京では「らくだの馬」)、登場した時には既に死人であるという、他に例のない話である。
 
本題は「駱駝の葬礼(そうれん)」。上方落語4代目桂文吾が完成させ、大正時代に3代目柳家小さんが東京へ移植した。当時、小さんが本郷若竹亭という寄席でよくかけていたため(3代目桂米朝茅場町の宮松亭であっただろうと述べている[1])、「若竹(宮松)へ行けばらくだの尾まで聞け」という、川柳ができるほど流行した。
「ラクダ」というあだ名については、1821年文政4年)、両国に見世物としてラクダがやってきたことに由来する。砂漠でその本領を発揮するラクダだが、それを知らない江戸っ子達は、その大きな図体を見て「何の役に立つんだ?」と思ったらしい。そこで、図体の大きな人や、のそのそした奴をラクダになぞらえて表現したことが下敷きになっている。
 
勘三郎親子の連獅子も同時上映です。これはお勧め。
歌舞伎観たことなくても台詞はわかりやすい。
 
追記
 
カンカンノウの音楽が耳に残り笑えます。
 
魚屋宗五郎でも酒飲む場面が見どころですがここでも酒は舐める程度と言っていた屑屋が~
 
こういう演技は下戸の方が上手だそうです。
勘三郎も愛嬌あり上手い!
 
連獅子の終わりは亡き勘三郎にぐっときましたがこの駱駝は最後まで笑わせてくれました。
 
シネマ歌舞伎、玉さん主演以外は観たことないのですがこれは観て良かった~
 
勿論、玉三郎勘三郎共演作品大好きでした。
 
シネマ歌舞伎 刺青奇偶なども生でもシネマでも観ました。