<span itemprop="headline">修学院離宮の紅葉2</span>
3回目の修学院離宮です。多分紅葉の時期は初めてです。
表総門入ったところです。
桜の時期とは大違いの大勢の見学者でした。
女性3人組が門まで来たのに予約がいるんだ~と帰って行かれました。
近くには紅葉も美しい曼殊院もあるのでもったいないなと思いました。
普段ならおせっかいに口出すところでしたが、3人組なので言い出せませんでした。
修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)は京都市左京区修学院の比叡山麓にある皇室関連施設。17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇や上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっている。宮内庁京都事務所が管理している。
苔寺は今は3000円以上かかるそうです、学生時代に行ったきりですがちょっと再訪出来ません。
寿月観 - 後水尾院行幸時の御座所となった建物。当初の建物は岩倉殿(顕子内親王)の山荘から移築したものであったが、享保年間(18世紀前半)に失われ、文政7年(1824年)に再建された。文政の再建は、徳川家斉が光格上皇のために離宮の改修を行った際のものである。東側に「一の間」、その西に「二の間」、その南に「三の間」が鉤の手に連なり、三の間の西には5畳の茶室がある。二の間の北には4畳半、その北には10畳半の「玄関の間」が突出し、建物の北西端に式台玄関(御輿寄)がある。屋根は杮葺で、一の間側が寄棟造、三の間側の南妻は入母屋造とする。一の間の東・南面から二の間・三の間の東面にかけて板縁を設ける。一の間は15畳。うち北西隅の3畳分を框で一段高くした「上段」とする。上段の西側に床(とこ)を設け、これと矩折の北側に脇床(琵琶床)、棚を設ける。床柱は杉の面皮柱、長押は杉丸太である。棚の上の天袋小襖には鶴、下の地袋小襖には岩に蘭を描く。これらは原在中の筆である。西側の二の間境には岸駒筆の「虎渓三笑」の襖絵がある。修学院離宮にある唯一の襖絵だが、後水尾院没後の作である。二の間は12畳で、西側南寄りの杉戸に夕顔の絵がある。その南の三の間は6畳で、従者の控えの間である。茶室は5畳で北側に床を設け、裏に物入と水屋がある。一の間南側軒下の「寿月観」の額は後水尾院筆。三の間の南妻には失われた建物である「蔵六庵」の額が掛かる。寿月観前庭の飛び石や、庭に立つ袖石灯篭も有名である。[4][5][6]