<span itemprop="headline">文学と美術の街金沢</span>
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3月12日富山から金沢へ。
富山駅は工事中のせいなのか、行き先表示もわかりにくかったです。
新幹線開通直前でしたが工事は間にまにあったのでしょうか。
駅前に金沢行きのバスもありましたが列車を選び、最終トワイライトエキスプレスに遭遇出来た話はこちら。
富山では曇りで美しい山々も拝めませんでした。
観光はやはり春秋ですね。今回は目的が観劇なので…
あのミュージカルの王道を行く「ショウボート」は新幹線開通を祝うものだったのでしょうね。
立派な金沢駅、卒業式帰りですね。
名古屋行きバスに乗る寸前に撮った写真。
春は女性が体調崩す季節、男性は秋だそうです、皆様はいかがですか。
私はまるでインフルエンザにかかったように鉄板のような肩になり痛くて、腰痛も久しぶりに突然何もしないのに出てきました。
旅の疲れでしょうか。やはり列車に乗ってほうが楽かも。
途中で雨が本降りになり休憩も外に出ませんでした。
トイレ付バスは白鷺より綺麗でした。
でも荒れる海が見えました。
金沢に着いた時はほっかり暖かく天気も良かったのですが。
バスで泉鏡花記念館目指すとレンガ建築が~
バスの中から撮影です。
夜はライトアップされます。
本館は石川県ゆかりの文学者の著書・遺品・愛蔵品等を一堂に集めた総合文学館です。
泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星の三文豪から現代文学の最前線で活躍する人たちまで幅広く展示しております。また、朗読会などのイベントも随時行い、文学の香り豊かな石川の風土にふさわしい活動を行っていきます。
泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星の三文豪から現代文学の最前線で活躍する人たちまで幅広く展示しております。また、朗読会などのイベントも随時行い、文学の香り豊かな石川の風土にふさわしい活動を行っていきます。
石川四高記念文化交流館の建物は、当時文部技師であった山口半六氏、久留正道氏により設計され、明治22年6月現在地に着工。同24年(1891年)7月に完成した旧第四高等中学校本館です。明治27年9月、第四高等学校と改称し、昭和25年3月学制改革により閉校しました。
構造および形式は、煉瓦造り2階建桟瓦葺、正面玄関付きで、建築面積は1068平方メートルです。 本館の屋根は寄棟造、外観は腰周り、軒周りに釉楽煉瓦や白煉瓦を用い、壁面の赤煉瓦と強いコントラストをつくり、意匠的にも煉瓦造り建造物の単調さを救っています。
屋根には、棟飾りや雪止めの金物のグリルをのせ、煉瓦造りの煙道を6ヶ所に立て、変化を与えています。
構造および形式は、煉瓦造り2階建桟瓦葺、正面玄関付きで、建築面積は1068平方メートルです。 本館の屋根は寄棟造、外観は腰周り、軒周りに釉楽煉瓦や白煉瓦を用い、壁面の赤煉瓦と強いコントラストをつくり、意匠的にも煉瓦造り建造物の単調さを救っています。
屋根には、棟飾りや雪止めの金物のグリルをのせ、煉瓦造りの煙道を6ヶ所に立て、変化を与えています。
わざわざ間違ったバスに乗らんでも(爆)
懐かしの兼六園なども廻り、結局タクシーに乗り換えて鏡花記念館へ。
はじめからタクシーに乗ればいいものをバカでしょう。
この赤レンガは何?
ああ、この椅子、椅子の本にも載っていて実家でも使っていた懐かしい椅子なのです。
1998年、惜しまれつつこの世を去った人気住宅建築家・宮脇檀氏が、二十世紀名作椅子のコレクターだったことはつとに有名である。本書は、宮脇檀氏の長女で、氏のエッセイにもたびたび登場する愛娘、宮脇彩氏が、父親の遺した名作椅子コレクションを通して、在りし日の父との暮らしの思い出、その生き方に貫かれた男の美学を綴った鮮烈のデビューエッセイである。
宮脇 檀(みやわき まゆみ、1936年2月16日 - 1998年10月21日)は、建築家、エッセイ スト。男性。 洋画家宮脇晴とアップリケ作家の宮脇綾子の子として愛知県名古屋市で 生まれた。
母が綾子さんのアップリケ習っていたのです。
玉三郎の舞台観てようやく鏡花作品を読むことが出来たので一度来たかった所です。
昔の本の美しさ
四谷シモンの「械仕掛けの少女」、
(以前岐阜の美術館まで四谷作品見に行きました。)
金子國義展(3月16日にお亡くなりになりました)
サドの細かい文字の書簡などの展示あります。
常設展も撮影禁止、ほしい図録も販売完了。
以前名古屋の友人に鏡花作品の挿絵のしおり頂きましたがそれももうありませんでした。
何だか女性学芸員に小言言ってるおじさんがいました。
「鏡花を研究してる人がその態度か」みたいな。
彼女のほうは憮然とどこでも訴えてくださいと開き直る感じ、
あのような静寂な場で小言言わなくても。
この後、金沢の友人が車で来てくれました。
次回は21世美術館です。