riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">教科書の「国導化」を阻止しないと、子供たちは「歴史」でなく「ウソ史」を覚えてしまう</span>

ダメだ、こりゃ…

日本の教科書って、国がその内容を決めてんねんで

ウソつけ! 日本は「国定教科書」とちゃうやんけ!

そない言う人がいてるかも知れへんけど、「教科書検定」ゆう制度で教科書の内容を誘導し

その中身を事実上決定してるのは国(=政府=文科省)やで


教科書検定ゆうたらな、「事実の誤認」とか「間違い」を指摘して修正を求めるだけとちゃうねんで

教科書検定は、建前上は「学習指導要領」に基づいてるかという検査…で

その学習指導要領を決めるのは文科省…なんやけど、その中身はときの政権によってコロコロ変わんねん

ってことは結局、ときの政権が教科書検定の審査基準となる学習指導要領を決めるってことで

要するに、政権が事実上、教科書の内容を誘導・決定できるってことになってんねん


で、日本ではほぼずーーーーーーーっと自民党政権やろ

そやから、学習指導要領かて、事実上、自民党がずーーーーーーーっと決めてんねんけど

今、安倍ちん政権のもとで、「歴史の書き換え」(→それは歴史ではなく「ウソ史」やけど)をやってるやろ

それが学習指導要領を通じて教科書にも発揮されて、今度の社会化の教科書はもう、

教科書ではなくて「政府広報誌」みたいなことになってんねん


まぁ、それは今に始まったことやないけど、

安倍ちん政権は今までの自民党政権では最悪の「ウソ史」をつくろうとしとるから

今度の教科書は過去最悪…とゆうてもええくらいの酷い検定やってん


ぼく、その一つ一つを取り上げて丁寧に説明しよか…と思ってたんやけど

その時間もなく、かつ、その根気もなく…ということで、

こういう「ざっくばらんシリーズ」(=内容のないつぶやきみたいな文章)になってんねん


社会化の教科書では、政府の言い分が必ず載る(…それも、それが正しいかのような書き方で…)

そして、日本に都合が悪い(と安倍ちんたちが考える)コトに関しては

「通説的な見解がない」という理屈をつけて

「トンデモ説(→それは政府見解も含む)」まで紹介する…ということになってて

そうでもしないことには検定に通さない…って文科省が言うから

もう、教科書会社は白旗をあげて、政府の(=自民党政権の)言うままにその内容を変えてもうてん


そやから、これからの社会化の教科書は、特に近現代史においては「政府広報誌」と化して

とてもやないけど「(考える材料としての)教科書」にはなってへんねん

(これは言うてみたら、「政府の見解を覚えるための教本」やな…)


で、そんな本で社会科を学んだ暁には、とにかく「政府の見解はこう…」ということを覚えて

海外の人と話をするときにも、まるで自分の意見のように政府見解をペラペラ…

なんてことになりかねへんと思てるんやけど、そんなことになったら、

「自分の頭で考える人」ではなくて「政府の見解を代弁する人」にしかなられへん…ってことやから

これは「考える」という、人として最も大切なコトをさせなくするような本…ということで

とてもやないけど「教科書」とは呼ばれへん…と、ぼくは思うのでありました




※…と、ここでお終いにしたら、検証不能な「言うてるだけ」のエントリーになってしまうので

やっぱり、ある程度のコトは新聞記事を参考にしながら書いてみたいと思います


・まず、社会化の教科書に対する新検定基準の姿勢はこうなりました…↓
・政府見解がある場合はそれに基づく記述を入れる
(=政府見解がある場合はそれを必ず載せろ!≒政府見解があんのに載せへんかったら不合格やぞ!)

・数字に通説的な見解がない場合はそれを明示
(=通説的な見解がない場合には、通説的見解がないとはっきり書け!
 …と言いつつ、通説的見解があっても日本政府がそれを認めてない限り、それはないと思え!)

・特定の事柄を強調しすぎない
(→この場合の「特定の事柄」とは、日本政府にとって都合の悪い事柄です)
う~ん、なんて一方的なの、これ…

(こういうのを「上意下達基準」あるいは「一方通行基準」って言うねん…)


そして、こういう「一方通行基準」が適用された結果、どないなったかを挙げていくと…
関東大震災時に殺害された朝鮮人の人数」は、通説的見解がない…となって

「(犠牲者)数千人」としていた記述が「数百人から数千人など諸説ある」と変更される…
関東大震災時に殺害された朝鮮人の人数」…ではなくて、もっと正確に言うと

関東大震災時に虐殺された朝鮮人の人数」は約6千人というのが通説的見解なんですけど

それさえ「ない!」と、日本政府は言うのね…

(もう、こんなんやったら、歴史の「通説」はみんななくなるで…)


だから、どんなに少なく見積もっても、数千という「千の単位」であることを否定するのは

朝鮮人虐殺なんかなかった」というのとおんなじくらいのレベルの話…であるはずなのに

教科書に「数百人から」…なんていう「トンデモ説」を紹介させるのか!?

(オイオイ、それはアンマリやろ…)

戦後補償における「中国人の強制連行」に関する記述において、

「そんなん解決済みや!」という政府見解が載る…
そんでも、この件に関しては多くの民事裁判が被害者側から起こされてて

そのなかでは、例えば三菱マテリアルのように「和解」という形でその責任を認めて

「謝罪」や「賠償(補償)」に応じる…ということもあるので、

到底、(全部)「解決済み」とは言えないと思いますわ

(教科書には、こういう「個々の企業が責任を認めて謝罪や賠償(補償)をしてる例」が載ってんのかな…?
 なんか、そんなことを載っけると、文科省から「特定の事柄を強調するな」(≒余計なことを書くな)とか
 検定意見がつきそうやな…)

日本政府が日本軍性奴隷制度と並んでもっとも「ウソ史」に力を入れてる「南京大虐殺」についても

こんな改変を指導…↓



朝日新聞:2016.3.19から)
(う~ん、こんなん、原案の影も形もないやんけ…)


ちなみに、この最終的な記述は、「締め切りの2日前に文科省の調査官から

『ここは相談だが…』と示してきた構成案に沿ったもの…であり

教科書会社が書いた…というよりも、調査官が書いたようなもんになっとるんですが

文科省教科書課は「仮に調査官が構成などを提案したとしても、実際に採用するかは会社側の判断だ」…

と言うとります(…って、なんちゅう屁理屈やねん、これ…)


ところで、日本ではとうとう「南京大虐殺」を「南京事件」と矮小化して記述することが

お約束になってしまったようですが、これも歴史の事実の「改変」でありましょう

安倍内閣が集団的自衛権の行使を認めたことについて、「(憲法)第9条の実質的な改変」と書いたら、

「9条の平和主義の基本的な論理が抜本的に変わると誤解されるおそれがある」との理由で、

変更を求める検定意見(=イチャモン)を付け、その表現が消された…
憲法9条ってのは憲法前文と相まって、憲法の平和主義を根拠づける規定であるところ

その平和主義とは、「戦争放棄専守防衛」にあるんです

ところが、集団的自衛権はどない解釈しても「専守防衛」とは言えない代物でありまして

これを「(憲法)第9条の実質的な改変」(=「9条の平和主義の基本的な論理が抜本的に変わる」)と言わずして

いったい、なんて言うねん?

(こんなん、誤解も六階もないやんけ!)

国旗・国歌法に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」とした脚注の一部が削除される
これね、東京や大阪など、公務員(→特に学校の先生あるいは学校そのもの)に対して、

明らかに国旗・国歌の強制があんのに、あるものをある…と書いたら、

(→そやかて、公立の小中学校における教職員の「国歌斉唱」は校長の職務命令として
  教職員に「強制」されるもんやんか)

その強制の張本人である都教育委員会からイチャモンがつき、

教科書検定によらずにその内容が変わってしまった…という「裏技」のせいでこないなってん

(これは、教科書検定によらない「改変」の例です…)

「政府は、1899年に北海道旧土人保護法を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、
 農業を営むようにすすめました」

…と書いたら、「(旧土人保護法の趣旨を)生徒が誤解するおそれのある表現」と検定意見が付き、結局

「保護法を制定し、狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、
 農業中心の生活に変えようとしました」と修正し検定合格…
あのね、もともと、北海道はアイヌの土地なんですよ

それを丸ごと「盗った」のがヤマトなのでありまして、盗った後に僅かばかりの土地をアイヌに配分したら

それは「土地を与えた」ということになんのかね…?

(それにしても、歴史の教科書には、ヤマトがアイヌから北海道を奪ったことを、ちゃんと書いてるんかな…?)


それに、「アイヌの人々の生活を保護する名目」とは裏腹に、

配分された土地は「農地に適さない荒れ地や傾斜地が多く」て、それはアイヌの生活を豊かにしたのでもなく

結局は、アイヌの生業であった狩りや漁などの場をヤマトに「奪われただけ」…だったので

こんなのは、どない考えても「与えられた」のではなくて「(もともとの生活の場を)奪われた」と書くべきです

(今回の検定結果について、北海道アイヌ協会の阿部ユポ副理事長は
アイヌ民族を差別した保護法を肯定的に扱うのは歴史の改ざんだ。公平公正に歴史を教えてほしい」と話しています)

主体(…というか主犯)のぼかしの例…

慰安婦問題の場合、一社の教科書だけが「日本軍が慰安所設置や管理に関与した」という記述を残したが、

それ以外の教科書出版社はすべて「植民地の女性たちが慰安所に送られた」というように主語があいまいになった

さらに、「女性の中には日本軍に連行され『軍』の慰安婦になった人もいた」と書いてた教科書が

「植民地や占領地で募集された女性たちが慰安所に送られたこともあった」となった…
こういう主体のぼかし…は、日本語表現としてバツでありますので、教科書検定以前の問題かと思います

(それなのに、文科省は問題だとは思ってないから不思議…)


また、日本軍による「女性の『連行』」があったことはこれまた明らか…なんですけど

そんな資料(証拠)はない…という日本政府のウソが公式見解になってるので

こんなコトになってもうたんでしょうね

(そんでも、「ウソは百万回言うてもウソのまんま」やで…)


では最後に、番外編として、教科書検定で検定意見がついたり、

それ以外の場でイチャモンがついたりしたから、仕方なく…というのではなくて

自ら自発的に「ウソ」を書いてる教科書の例を見てみたいと思います↓
沖縄経済「基地依存きわめて高い」 教科書記述に県反発(朝日:2016年3月23日)

 2017年度から使われる帝国書院の高校教科書「新現代社会」のコラムに、沖縄県の経済は米軍基地への依存度が極めて高いとの記述があり、県内から「事実と異なる」と反発の声が上がっている。帝国書院は訂正を検討中という。

 コラムは「沖縄とアメリカ軍基地」と題して1ページの3分の2ほどを割き、米軍基地が集中する沖縄の状況や米軍普天間飛行場の移設計画を説明。その中で軍用地料や軍関係者の消費などに触れ、「県内の経済が基地に依存している度合いはきわめて高い」と記述した。また、「日本政府も、事実上は基地の存続とひきかえに、ばくだいな振興資金を沖縄県に支出しており」とも書いている。いずれも現行教科書にはない記述だが、検定意見はつかず、18日に検定に合格した。

 沖縄県によると、県民総所得に占める基地関係収入の割合は、本土復帰した1972年時点は15%ほどだったが、近年は5%前後。12年度は約2160億円で、観光収入の半分ほどだった。基地と振興の関係についても、安倍政権はこれまで「基地と振興はリンクしない」としている。

 県幹部は「県や政府の見解と異なる内容で事実誤認というよりデマのレベル。文部科学省は本当にきちんと検定をしたのだろうか」と憤る。翁長雄志知事は「(沖縄の現状は)まだまだ理解が及ばないところがある。しっかり訴えていかないといけない」と話した。

 帝国書院の担当者は「基地をめぐる様々な意見を書こうとしたが、不正確で誤解を招く表現があり、反省している。文科省とも相談して直せるところは直したい」と説明した。訂正申請を検討しているという。

「沖縄経済は基地で潤ってる」…とか、「沖縄は基地を口実に政府からお金を引っ張ってる」…なんてのは

ネトウヨレベルの「デマ(=真っ赤なウソ)」なのに、いやしくも教科書会社がそんなウソを書くか…

(う~ん、これからは、「新しい歴史がどうしたこうした系の会社」だけ気ーつけててもアカンな…)




※日本は教科書の内容に関する海外からの批判に対しては

「日本は国定教科書ではない」(=教科書を書いてるのは日本政府ではなくて教科書会社やから、

そんな文句を言われても、政府としてはどないしようもない)…と言い続けてきました

けど、ここまで政府の言い分や姿勢に迎合しなければ検定に通らない…ということであれば

それは「国定教科書とどこが違うねん?」…という話でしかありません

(→こういうの、「国導教科書」って言うべきかな?)


この点、「国定教科書」なら問題だけど「国導教科書」なら構わない…なんてことにはならないので

ぼくたちは、教科書の「国導化」を阻止しないといけません

(でないと、子どもたちが「歴史」ではなく「ウソ史」を覚えてしまうことになるので…)


転載元: mimiの日々是好日